東祖谷と三嶺・探訪絵日記その4
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l祖谷川の朝。ここから三嶺登頂の分岐点の名頃まであと20ぐらい。

祖谷川は堰堤のなか

 翌日は早めに宿を出て登山口の名頃まで遡る。祖谷川は堰堤で寸断され人工水路のようだ。川底が階段となって50メートルおきに連続する。すさまじい手の入れ方だ。山が荒れたから必要となったのか、それとも建設省の直轄事業である砂防工事事務所が郡内にあるからなのか。
 そんななかでときどき自然河川の区間がある。朝霧に包まれたその風景は、秘境祖谷の面影をかろうじて見せてくれる。切り売りした自然は標準レンズから中望遠を通してのみ伝えることができる。

 すべての砂防堰堤がムダだとは思わない。けれども例えば、村内の会社が受注しそこに大勢の村民が作業員として働き、ときには関係者が政治家として活躍する場合に、故郷の川が姿を変えても誰も文句は言えないのではないか。

 もちろん祖谷の厳しい自然条件を受け容れて人々が生活するためには安定的な経済的基盤が必要である。もし工事をする場所がなくなったときはどうなるか? そのときは村を捨てればよいのだ。けれど実際に工事はなくならない。一度工事をするとその維持管理、補修が永続的に必要となる。道のない山奥にはケーブルを架設し一度ユンボを解体して運ぶこともあるそうである。

 堰堤の上流では付近の渓谷状の地形に似合わない砂の河原が展開していることが多い。短時間で砂がたまることが原因だ。堰堤の上流では川底が上がるため洪水の危険が増す。しかも堰堤が作り出す細かい土砂の河原はその滑りやすさゆえに新たな災害を引き起こす可能性が高い。土砂で埋まった川底からは水生生物は姿を消し、アメゴのような渓流魚が棲めるのは堰堤の下の淵だけとなる。だから釣り人は堰堤を釣り歩くエンテイテイナーと自嘲する。

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