仁淀川紀行 その三

面河渓

それは一枚の絵葉書だった。
朱塗りの橋が渓谷の断崖の上にかかり、その下をスイスイと水が流れていく。
子どもの頃、旅行好きの祖父母が孫に渡すみやげは絵はがきで、それが楽しみであった。
石鎚国定公園「面河渓」と記された百円の絵葉書を取り出して今も眺める。
表紙は面河渓谷の入口の象徴的な光景である「関門」と「空船橋」(くうせんきょう)。
初夏の青葉に赤い橋が映え、翡翠色の水に彩られた
その絵葉書を見てホンモノを見たいと思った。





念願叶って面河渓を訪れたのが自分でクルマを運転できるようになった二十代の前半。
面河にあった関門ユースホステルに宿泊し、
イギリスからの旅人と英語を交えながら渓谷を歩いた記憶がある。



面河は昭和初期には日本八景の候補とまで言われ、
観光地として古くから名を馳せていた。
ところが久しぶりに面河を訪れてみると…。

仁淀川を遡行してようやく辿り着いた(徳島からは遠い)休日の面河渓谷は
紅葉を見る人で賑わっていた。
係員の指示で石鎚スカイラインの入口にクルマを置いてそこから歩いた。

いざ、関門へ向かおうとすると唯一の散策路は落石のため通行止め。
気を取り直して車道を歩いていると空船橋がちらりと見下ろせた。おおっ、あれが空船橋。

でも…絵葉書で見た、あの天に映える朱色ではない。
しかも水量が少ない。
調べてみると空船橋の上流に取水口があって
面河ダムまでトンネルで水を送っているからであった。

とにかく空船橋まで近づきたいと思ったが、上流側からも通行止めの柵があった。
観光客の安全を考えての措置と思われるが寂しい。
そして面河の入込客数は減少しているとも聞く。

面河の第二の玄関ともいうべき五色河原を経て亀腹へ。
そそり立つ岩盤を見ながらこれまた岩盤状の河原で観光客が思い思いにシャッターを切る。
雨に濡れた岩肌はなまめかしく黒光りする。
花崗岩の水底をすべる水は面河渓独特の翡翠色をしている。




なだらかな渓谷沿いの遊歩道を行くとキャンプ場があり、さらに進むと石鎚登山の分岐、
そして面河渓最大の淵といわれる下熊淵へと辿り着く。
その先には上熊淵、水呑獅子、虎ヶ滝があり、
さらに奥には御来光の滝と続くが、時間の関係で今回は下熊淵まで。
大概の人がキャンプ場の先ぐらいで折り返して帰るが、
さらに上流に見どころがありそうな気がする。
ただし、道は荒れているらしい。いつかは登山用の装備で源流をめざしてみようと思う。



約一か月後の快晴の平日、松山から33号線を南下して久万高原町経由で再訪した。
紅葉前線はすでに渓谷からふもとへと降りているが、そのほうが人が少なくていい。
面河渓は面河川本流と支流の鉄砲石川を合わせた一帯の総称で、
今回は鉄砲石川へと向かった。
車止めを越えて歩いてトンネルを抜けると鉄砲石川キャンプ場が現れる。
四国のキャンプ場でもこれ以上はないと思われる静謐さ。
そして手が届くところにある翡翠色の水。


面河本流と違うのは、人が少ないこと。
林道沿いでありながら自然度は本流より高い。
この日、出会ったのは初老の男性一人だけ。
大きな三脚を担いで身体全体で呼吸するかのように悠然と歩みを進めていた。
時間に制約のあるぼくはたちまち追いついてしまい、あいさつをして追い越した。

とはいえ、いい水の表情が見えると斜面の木につかまりながら河原へ降りて道草をする。
こうして1時間半ばかり歩いて林道の終点「赤石河原」へ辿り着いた。




ぼくが追い越した男性は先に到着して岩に腰掛け、
どうしたらこんなにおだやかな顔になれるのだろうと思えるような表情で空を眺めていた。



ほぼ一世紀前から観光地として歩んできた面河渓であるが、
往時の面影はなくなっているようだ。
一案として、観光バスを受け容れる従来型の物見遊山ではなく、
入山規制を行いつつエコツーリズムと
最高のおもてなし(少人数が快適な滞在を行うための施設や料理を整備)を提供する
地区として再創造できないだろうか。
(観光地として垢にまみれた部分をそぎ落とすとでもいおうか)。
なぜなら、自然の織りなす神秘を物静かな語り部から聴きたいと思うから。


(流れの写真の水滴が青や緑、オレンジなど色とりどりの銀河の星々のよう。レンズの収差かと思ったが、使用したのはナノクリコートのマイクロニッコール60mmF2.8。光と水の織りなす現象)


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