ひとことメッセージ集〜「海部川行ってきたよ」

海部川へのお便りをお寄せください。こちらです。
メールで寄せられたお便りなどをご本人の了承を得て掲載しています。デジカメ映像も添えることができます。みなさまのご感想を楽しみにしています。

☆「いろんな人たちと感性のやりとりをしたいな」(かおおさん、香川県/2004年1月)

こんにちは。
ガスコンロについてのアドバイス ありがとうございました。
早速、お休みに行ってみます。
ココアを作った日の帰り道、車のトランクに積んだ「カセットコンロ」がコトコトっと
どこかにぶつかって音をたてる度にバックミラーを覗いて。
トランクの中、見えるはずないのに。
そんなことを繰り返していて ひらめいたんです。
「そうだぁ。空と海。平井さんだぁ」
そう決めてからは、家まで楽しくて仕方なかった。
だって、平井さんの物選びのこだわりは う〜ん、こだわりと言うよりは
「はまってる」そう、そのはまってる様は こちらまで楽しくって。
だってとってもチャーミングなんだもの。
(言われたとおり思いつくまま。ごめんなさい。)

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お話がそれてしまいましたね。
もうひとつ。野田知佑さんの本のこと。とてもうれしい。ありがとうございます。

野田さんの本との出会いについてお話ししてもよろしいかしら。
初めて海部川を訪れた日。帰りに寄った「ひこうせん」さんなのです。
お食事をおえて、あと少しお店に居たくて何気なく席を立ちたくさん並んだ
本の中から抜き出したのが 『世界の川を旅する』 でした。
野田さんの直筆サイン入りでした。
カウンターの席に戻ってページをめくってからは、その写真と文章に私のココロは
「もっともっと」。
私は夢中のままマスターに向かって「コーヒーお願いします。」
(笑)あの本に出会わなかったら私、あんなに美味しいひこうせんさんのコーヒーを
頂かないまま帰っちゃってたんだ。

野田さんのことはお名前だけ 日和佐に移り住んでいるカヌーリストさん。として知っておりました。
「本」も私にとって出会いのひとつ。すっかり大ファンではありましたが、
特に追いかけなくっても、いつものようにお家の近くの小さな図書館に行ったときに
1冊だけあった『放浪記』かな?を読む機会がありました。
私も読書が大好きです。けど、本を捨てたり売ったりできないからもっぱら借りるのが専門。
何度も読み返したい本との出会いは まさしく 宝 です。 

長々とおしゃべりが過ぎました。
週末が楽しみです。
あのアウトドアショップを覗いて帰りはあそこへ寄ろう。
きっとありそうな予感。『カワムツの朝、テナガエビの夜』。
お店から車でちょっとのところに県立図書館 大きな図書館があるんですよ(笑)

あ〜、またつながったぁ。

川の流れを眺めていると似たようなキモチがします。

ここではない場所で流れてる時間 や 「自分の時間」ではない時間 が
ひょいと気になるんです。 
自分の時間ではない時間がいっぱいある。けれど、それは確実に同じ方向に流れている。
みんな「自分の時間」が何よりも大事。
んだけど、だけど、他人同士に見えても人って実はどこかでつながってるのかな?
不思議な感覚。やさしいキモチ。。です。 



☆海部川を選んだのは、偶然でした(兵庫県 神戸ライフセービングクラブ/2002年9月)

21日の夜に神戸を出発し、2泊3日(後発隊は1泊2日)という、あわただしいキャンプを海部川でしました。
神戸ライフセービングクラブという、ボランティアの人命救助クラブのメンバーと、ロータリー子供の家という、こちらもボランティアの、地域支援の子供クラブのリーダーと、合計16名。
最初は大井の堰の上流にテントをはり、翌日はトンネルを抜けてもう少し上にキャンプ地を移しました。

水質、水量、豊富な生物層、川で遊ぶ人のマナーの良さ、地元の方たちの暖かさ・・・どれをとっても、1級の川で、本当に貴重なときを過ごすことができました。
2日間、本当に水の中に入ったきり(というか、でたり、焚き火にあたったり、水に入ったり)でしたよ。

海部川を選んだのは、偶然でした。

クラブ代表が川には思い入れの強いもので、子供たちにきれいな川で思いっきりあそばせてやりたいと、子供クラブで毎年、6月、8月、9月と3回は川遊びを企画しています。

身近な川は、神戸のあたり、青野川や志染川。とっておき・・・が、加美町の杉原川や夢前川の上流。
しかし、どこも水量はありません。水質も、年々悪化しており、夢前の上流など、哀しい限りです。

四国の川といえば、遊んだのは四万十川とその支流の黒尊川、吉野川の一部くらいしかなかったのですが、きれいな川なら四国!と四国出身の友達にさんざん聞かされていました。
で、キャンプ地を選ぶ際に、15年来の知人(宍喰のダイビングショップ・カアナパリのオーナー、石川さん)に相談したところ、海部川をあげられ、ネットであれこれ探して、このHPにたどり着いたわけです。

もっともっと海部川でのんびりさせていただきたいと思ってます。
ストレスでできた、眉間のしわがなくなったよ!と話しています。

追伸 あまり嬉しかったので、みんなで川底の空き缶拾いをして、来た時以上のきれいな川にして帰らせてもらいました。



☆身近にある最高の教材ですね(TAKEさん 阿南市在住/2002年9月)

昨年、キャンプ情報をおくっていただいたTAKEと申します。その節は若松のきれいなトイレの場所を教えて頂いてありがとうございました。

その後も度々メルマガを送って頂いたりしてお世話になってます。おかげさまで去年は楽しい川遊びができました。メルマガで「年に一度あるかないかのコンディション!」だと教えて頂いた日に早速行ったら本当に心が洗われるような美しさで感動しました(神野橋下)。

今年も行くぞ!とはりきっていたのですが多忙で夏休みの終わりにやっと行ってきました。残念ながら大雨の影響で濁っていました。そろそろ大丈夫かな?と近々行ってみようと思っています。

今回はこのHPで勉強させていただいた影響で三間岩だとか支流のほうに足を伸ばしてみたいと思うのです。幼稚園児の息子に「うわーっ!」と言ってもらえるようなところ、具体的に言えば「川底庭園」の場所をよろしかったら教えて頂けないでしょうか?

自然とか生物に対して常に好奇心旺盛で、畏敬の念を抱ける大人になって欲しいという夢を息子には託しているのですが、日和佐川や海部川は身近にある最高の教材ですよね。




☆ずっと変わらぬ川でいて欲しい(vector miwaさん 兵庫県在住/2002年8月)

去る8月16日、家族4人で海部川を訪れ、一夜を野営にて過ごしました。

東北を除き、あちこちの川や山を見てきた中で、四国の山間部の川はやはり格別の美しさがあります。吉野川源流部、那賀川上流、坂州木頭川、物部川、支流の名も知らぬ川でも川原に居るだけで心地よいところがいくらでもあります。

渓は深く、農地や市街地が極端に少なく、道路の整備も行き届かず、人にとっては決して暮らし易くは無い所ですが、その分川は清涼で、何のためらいも無く水に親しめます。
流域面積や、高低差、そこに暮らす人や訪れる人の数などの関係でこういった環境が保たれているんでしょうね。

しかし深い谷を利用したダムもまた多く、美しかったであろうはずの渓の水が緑色に濁っているところも残念ながら多くあります。私の知っている美しい四国の川も山が人工林になる以前とはかなり変わっているのだろうと思います。それでも四国の川はやはり美しいとおもいます。

小学校低学年の子供達が安全に楽しめるようにと、すこし流れが緩やかになる中流域を選び、必然的にダムの無い海部川をキャンプ地に選びました。中流域とはいえ、その流れは源流部と何ら変わらぬ冷たく透き通った水で、ひざくらいの浅瀬の底石を鮎が食み、ウグイが跳ね、岸辺の一抱えの石をめくると手のひらもあるモズクガニやテナガエビがいっぱいいます。

淵に潜ると耳がキュンとなるほど深く、渦を巻いて浮き上がるのが大変です。鮎を突こうと必死で狙うのですがギリギリ届かない距離でこちらが遊ばれてしまいました。時間を気にせず、暑くなれば川につかり、寒くなれば陸に上がり、おなかが空けば食べ、暗くなったら寝ました。

『川で遊んではいけません』と学校で頭ごなしに教えられている子供達にはライフジャケットを着せ、自由にさせました。なぜ危険なのか、どうすれば安全に楽しめるのか、水の怖さと楽しさをすこしづつ学んでくれればと思います。

次の日も飽きずに遊び、友釣りや、鮎突きや、投網の漁をながめました。地元のおばさんが、『あんまり獲れんかったのか』と、甘く茹でたテナガエビを持って来てくれ、先ほど目の前で網を放っていたおじいさんが、『炭火があるんならすぐに焼いて食え』と、今しがた獲った鮎を全部くれました。

ちょっとびっくりしました。なんだかショックでした。

普段せかせかと働き、損だの得だの言っている自分を恥ずかしく思いました。『ありがとうございます。』とお礼を言い、美味しくいただきました。本当に美味しかった。長いこと食べた事の無い味のような気がしました。

地元の人たちは当たり前の様に遊びに来た私達を受け入れ、親しく話しかけてくれます。山や川だけじゃなく、人までもが美しい海部川が家族全員ですごく好きになりました。
自分の生き方もこうありたいな。ずっと変わらず有り続けてほしいと思います。



☆ 四国の川との出会い(vector miwaさん、兵庫県/2002年8月)

私が四国の川と出会ったのは5年前の夏でした。
釣り好きの知人と兄にフライフィッシングを仕込まれ、知人が足繁く通っていた徳島県の山間部の渓流に案内してもらいました。
夜中に車で神戸を出発し、数え切れないほどカーブを曲がり、坂州木頭川の上流に着いたのが、まだ真っ暗な午前3時でした。兄と知人は仮眠を取り始めましたが、私は今日出会うであろう魚が楽しみで、眠気も来ず、空が白むのをじっと待ちました。

夜が明けた渓は、前日までの雨でわずかに濁りが入っていましたが、その渓相はすばらしく、水量も徒渉に影響の無い程度におさまっており、快適に釣り上がりました。夕方には笹濁りも完全になくなり、禁漁も間近に迫った季節であるにもかかわらず、未熟な私が振った毛鉤にもいくつかのあめごが出てくれました。
野営をし、化粧塩をしたあめごを焚き火であぶり、それを当てに酒を呑みました。言葉では表現できないほど楽しかった。

あの日わたしに四国の渓流を紹介してくださった知人は、昨年ついに単身で神戸から木沢村に移住し、土木の仕事に就き、鶏を飼い、薪を割り、畑を耕す暮らしを始めました。そこを訪れるのも四国に行く目的のひとつになりました。

私の生まれ育った町にもきれいな川があったのですが、上流の山がゴルフ場に開発され、川底の色が赤茶色になり、ミコテン(オヤニラミ)やいっさんこ(ヨシノボリ)はいなくなり、カワセミも姿を消してしまいました。
それでも子供達は川で遊び、カワムツやフナをとったり釣りをしたりして遊びました。汚れの無い支流に入れば、あさじ(オイカワの雄)がいて、こいつが私達の子供の頃は一番カッコイイ獲物でした。

そんな川遊びを思い出させてくれた四国の渓流にハマり、夏が来る度に四国を訪れるようになったのです。
先日の海部川でも、美しい婚姻色と追星でまっくろの顔になったあさじや、青く鮮やかにきらめくカワセミを見つけ、子供の頃を思い出しました。



☆ 午後からの海部川(ここの管理人 /2002年8月)

 来週は予定が詰まっているからと仕事をしている日曜日。でも表通りの午後の光を浴びたときもうじっとしていられなくなった。8月下旬とはいえ久々の真夏日、太陽の光に照らされた海部川の玉砂利が浮かぶ。

 手際よく身支度をして14時過ぎに出発。途中で給油し、国道55号線を南にハンドルを切る。1時間あまりで海部郡牟岐町。ここからさらに国道を海沿いに走るのだけれど、きょうは行く先を海部川中流のとある場所と決めてあるので近道をする。
 玉笠林道は、海部川中流域への近道で三角形の2辺を行かずに1辺を行く感じ。国道からしばらくは牟岐川沿いに開けた里山風景で心がなごむ。途中から1車線となり、山中に入ると林間のドライブとなる。ガードレールがないところもあるが、心地よい森林浴の時間となる。

 国道を離れて十数分、牟岐川が見えなくなるとヤレヤレ峠(不思議な地名)に達する。ここを越えると海部川流域になる。峠は分水嶺だ。道沿いに現れた沢は海部川支流の玉笠川。この支流で少し涼んでいくことにする。道からすぐに降りられる場所があり、ゆるやかな谷間に午後の日が差していた。

 水と光の交錯が好きだ。トランクからミノルタと三脚を取り出す。レンズを絞り込む。シャッター速度が1秒になるので三脚を水のなかに立てた。樹幹をくぐりぬけた光が浅い水面に微妙な影を落とすとき、風が演出し影が揺れる。人工では決して作り出せない水に落ちた光の明滅。しかも光は一瞬一瞬に表情を変える。太陽の公転を地上の樹木が拡大して見せてくれる。

 本流のとある場所。ここは海部川本流で一番好きな場所。目の前に淵があり、子どもの飛び込む岩があり、対岸には冷たく清冽な沢の水が落ちている。そのまま流されれば「海部川川底庭園」とぼくが呼んでいる場所が白砂の川底がすぐ下流にある。

 淵の水深は3メートルから4メートルぐらいまで。水流が渦をまくように淵の周辺の砂底掘れこんでプール状となっている。ここを抜けると急に川は浅くなり、歩いて渡れるほどになる。この淵と瀬の組み合わせが絶妙。竹林のざわめき、魚の跳ねる水紋とともに川の時間そのものだ。

 ここはもっとよかった。道路の拡幅のため、それまで山際を縫っていた道路が川に沿うように走るようになったのが1995年頃。そのため竹林ひとやまがなくなった。この竹林は、道路と川を切り離し、ヒグラシの厭世的な声が流れる夕刻の静かな時間を感じさせてくれていた。道がせり出す以前は河原も広く、しかも玉砂利はテントにとって最高だった。

 川そのものはそれほど変わっていないかもしれない。けれど水が流れる場所だけが川ではない。この工事でぼくの足が海部川からやや遠ざかった。それほどいい場所だった。
 それでも身体を水に預けて浮かんだり潜ったり、岩盤に沿って淵を沈んでいくとコバルトブルーの水底の石に舞うアユの群れ(淵のアユはなわばりを持たない)がいる。オレンジ色のストライプを身にまとったウグイ(この辺ではイダと呼ぶ)が反転する。ウグイは銀色の無地なのだが、婚姻色が出ると彩色される。からだをほんの10分預けるだけでミネラルを含んだ水に癒される。

 水面を飛ぶ赤とんぼを見ていた。ゆーらゆらすいすーい…。85ミリレンズのファインダーのなかで、水面にすうっと現れる光景に見とれていた。
 まだ日は高いけれど、お盆の川遊びにお世話になった大井の堰の富田まゆみさん宅にお茶を持っていく。天然アユやらアイガモやらイノシシやらシシトウなどをご家族と一緒に河原で焼いて食べたのだ。富田さんの子どもたちは川で遊ぶのが大好きな川がき。もしかして来年あたり、フォト・エコロジスト村山氏の川がき写真集でお目見えするかも。
 お茶は、上勝町で勝浦川流域ネットワークが行っている棚田の学校〜茶摘み編でできたばかりの新茶。ここのお茶は発酵が独特でからだにやさしい風味を持ち、上勝晩茶という。

 中流から下流へとさらに下り、吉野橋をわたると、見覚えあるクルマ。親父がアユ釣りの帰り支度をしていた。

 川に遊んでもらって事務所に帰ったのが20時前。今夜はぐっすり眠ろう。
(2002年8月25日)



☆ うわさ通りでした(o-cubさん 高松市在住/2002年6月)

先日、念願の海部川下りをいたしました。
その感想を聞いていただきたく、メールいたしておりますが、
下流で初めに「水のきれいさ」に感動し、中流で「小石が透けて見えること」に感動し、轟の滝で、そのこうごうしさに感動いたしました。まさしく四国の宝物ですね。

初日は若松から下流まで、次の日は皆の瀬というところから若松までの旅でしたが、5月末ということもあり、まだ鮎も解禁になっていなかったので、快適な船旅ができました。思ったよりも流れがはやいですね〜。対応しきれず、チンしました(笑)水量も多く、エキサイティングな瀬もたくさんあり、本当に楽しめました。

夏ごろは川原でキャンプがよさそうですね。ぜひぜひ再訪したいです。また耳よりな情報がありましたら、教えてください。

(追記)
海部川はいかがでしたか?
あの澄んだ川と濃い緑の様子が、目に浮かんできます。星空を独り占めだなんて、すごくぜいたくな場所ですね。川の音を聞きながら、テナガエビをつまみにビール、是非味わってみたいなあ。

昨日は川ではなく、海で釣りをしてきました。ちいさいキスが4匹、テンプラにしてしょくしました。瀬戸内海ののんびりした風景もいいですよ。

では、また。みなさんの海部川の感想を聞かせていただければ、うれしいです。


☆ 彼女と行ってきました(俊介さん 徳島市在住/2002年6月)

海部川は初めてという女性と行ってきました。キャンプ地は、竹林を瀬に樫瀬の淵があるところ。ここは河川改修されてからかなり長い間、キャンプしていない。それだけ河原が荒れてしまったから。しかし道路工事から7年目の今、ようやくかつての姿に近づきつつある。それでも竹林はなくなってしまった。海部川沿いにハイウェイなんて要らない。

アウトドアメニューが(女にとっても男にとっても)腕の見せどころ。でもガスで米を炊いたことがないので彼女は不安げ。彼女の考えたメニューは、トマトにきのこを加えたパスタ、マーマレードと醤油の照り焼きチキン。朝食はチーズトーストと乳酸菌飲料とトマト。夜はビールとワイン。

適度な風。蚊はいない。雨は降らない。星は美しいといいことずくめ。夜はテナガエビ採り。目の前の浅い河原でいくらでもいる。小型中型には目もくれず、大きいのを10尾だけ。ほかに料理があるので無用な採集はしないほうがいい。カジカ蛙とシマドジョウもいる。

翌朝、焚き火は安定して朝までほのかに温かかった。鍋のなかで泳いでいたテナガエビを高温で一気に塩ゆで。こりっとほんのり甘く、昨晩の残りのご飯と食べたらあっという間になくなった。それぐらいでちょうどいい。

目の前の川で泳いだ。6月とはいえ、南国の川は快適に身体を預けられる。地元の子どもたちは5月の連休からもう泳いでいるらしい。

水底を太陽の光がすべっていく。水が透明なのか、それとも大気が透明なのか、それとも水底が透明なのか、わからない。

キャンプ地をあとに、上流部にある王餘魚谷(かれいだに)にある轟の滝(とどろきのたき)を見て帰る。昼食の目当ては、平井さん(このサイトの管理人)に教えてもらったお好み焼き屋(海部町内)。これで2回目だが、未だに食べることができないのは店の外まで並ぶ行列のせい。今回もダメだった。代わりに牟岐町にあるうまいうなぎ丼を食べさせる店(ここもおすすめだとか)で胃袋を満たし、日和佐川の支流北河内谷川で一休みして徳島へ戻った。

ぼくも彼女も大満足の1泊2日の海部川。早く帰れたので、彼女は「利家とまつが見られる」と喜んでいた。



☆伝説の清流、海部川に憩う(千夏さん 阿波町在住)

 海部川は徳島県南部を流れる約36kmの川。ダムがなく、川の水で野立てをするほどの清冽な流れ、豊かな植生を誇る。アユ、アメゴの宝庫であり、山のミネラルがそのまま海へたどり着く数少ない自然河川である。地元海部町、海南町の人々が中心となって、海部川を自慢する会「だあ海部川」を結成。96年1月には、海部川清流保全条例(海南町)が施行された。

 室戸岬をめざして国道55号線をひたすら南下していく。バスの車内では「日本つり紀行」で夢枕漠さんが海部川に遊ぶ映像が流され、まだ見ぬ水との出会いに胸が高まる。海亀の町、日和佐町で「だあ海部川」の岡田齊さん、前田憲作さんが乗り込んだ。

 「だあ」は、この辺りの方言で「そうだ!」「だから」などという意味。「守るというのは消極的だ、どうせなら清流を自慢しようじゃないか」という発想で作ったらしい。一過性のイベントではなくて、生活と密着して持続的に実践していきたいと仕掛け人の岡田さん、能田益弘さんらは語る。そして、近自然工法や有機農法を勉強、提言している。カーブを曲がるごとに青い渚が次々に目に飛び込んでくる。ここは、室戸阿南海岸国定公園の真っ只中。

 海部川に架かる橋を右折すると、オオウナギとホタルで知られる支流の母川に着いた。解説を待ちきれずに参加者が水に入る。母川は、豊かな湧き水を集める小川である。竹林、湿地帯を抜けた水が「せりわり岩」の付近で淵を形成し川幅を拡げる。オオウナギはこの辺りに棲んでいるのだろうか。ホタル祭りの実行委員長を務める前田さんの「川底にはホタルのえさとなるカワニナが繁殖している。毎年6月中旬にホタル祭りが行われ、高瀬船が繰り出されて多くの人で賑わう」「オオウナギは体長1メートルを優に越える。大水が出ると、田んぼで見つかることもある」との話にびっくり。しかし、「近年では生息数が減っているようだ。その代わりにナマズが増えた。

 これは上流で行われている改修工事により、土砂が川底に堆積して生息環境が変わったからではないか」という。岡田さんは「建設省は多自然型川づくりを推進しているが、見せかけだけではなく、川に川を作らせるということと、生態系に配慮するという本来の理念でやってほしい」と注文。これには多くの参加者もうなづいていた。関西からやってきた女性は「母川はほんとうにやさしい表情をしている。見ていると心が癒される。日本の原風景ともいえるこんな川を大切にしたい。地元もよそ者もなく、川によって結ばれる心はひとつだ」としみじみと語ってくれた。母川を後にして海部川へと向かう車中で、地元のバラ園のご好意により、かれんな花をいただく。

 成田愛治さんは、「愛ちゃん」と呼ばれる地元の川通。朴訥な語り口で、全国からやって来た人々の人気をさらう。愛ちゃんは毎日のように川を見にいく。川から離れては生きていけない人だ。清流保全条例の意義について「行政では人が変わると途端に取り組みが変わってしまうことが多い。海部川は地元の財産なんだという意識を行政に持ってもらうことに意義がある。これは町の理念やけん」という。さらに「どこの川でも親水公園を作るけんど、今は川を遊びの対象としか見なくなった。そのことが川を汚す行為と無関係ではないんとちゃうか」。また、「自然は、人間が計算したり技術でコントロールできるもんやない。自然から離れた生活をやってるうちに、自然に対する畏怖や尊敬の念を忘れたかもしれん」「川は専門家や行政のもんやなくて、地域のみんなのもの。その気持ちが川を守る気持ちにつながる。川で暮らすことが、収入につながる仕組みが必要」「近自然工法のええところは、コンクリートと違って時々の補修や手入れが必要で、地元の人と川との関わりができるこっちゃな」。ユーモラスな愛ちゃん節にみんな拍手したり、うなづいたり・・・。

 バスは小川口の通称赤橋付近まで行って折り返す。無垢の表情を見せる水が空色に澄んだ淵を作りだし、川面にせみしぐれが響きわたり、日本の夏真っ盛り。太公望たちの姿が見える。腕をさすって見ていた人もいたのではないだろうか。

 山の神様の贈り物が川に溶け込み、川から海へ運ばれる途中でたくさんの生き物を育む。そしてオゾンを含んだ風が山から海へ、また海から山へと吹く。岡田さんはこれを「海部川、風のサンクチュアリ」と呼ぶ。中流の三筒は風に舞うハングライダーの着陸地点。

 広い河原にぽつんと2本の木がある。その木の下で車座となって参加者が意見交換。海南町長、海部町長も駆けつけて「全国からようこそ。清流海部川を心ゆくまでお楽しみください」と歓迎のあいさつ。
 そして、能田さん、宍喰町の戸田眞理子さんら地元の人たちの手によって、釣ったばかりの天然アユの野焼きが始まった。甘いすいかの匂いが香ばしい炭の香りに変わる。「うん、おいしい!」。河原に歓声が響く。地元の隠れた名産のところてんもいける。やはり「水」が違うのだろうか。川の聖域を吹き抜ける夏の風。川で泳ぐ人もいる(ミネラル浴びて、気持ちいいだろうな)。河原の木の下に涼みながら川をみつめる私の胸には、「500 マイルはなれて」の歌がこだましていた。

 地元の人の話では、道路工事により川が少しずつ姿を変えている、という。道幅が広がるたびに、淵がまたひとつ消えていく。川は淵と瀬が織りなすハーモニー。そのなかで魚は子孫を残すことができる。高知県の橋本知事は、自然のままの四万十川の景観の価値ははかりしれないとし、四万十川の道路拡幅工事を止めさせた。もし海部川が、ハイウェーが走る親水公園と化した時、だれが遊びに来るだろうか。

 もちろん、地元の人々の暮らしは大切だ。問題は、開発か自然保護かではなく、持続可能な社会が求められる次代に何を伝えていくべきか。それは地域にもっとも適したもの、地域にもっとも残されたものではないかと思う。人と自然が共に生きてきた南国情緒あふれる流域の風土。私たちは未来に何を伝えるべきだろうか。

 全体会総括討議で、大熊先生が述べていた。「問題が起きる前に、住民の手で清流保全条例が制定された海部川の意義は大きい。ダムのない川には物質循環がある。そんな川を集めて"全国ダムのない川サミット"を開いてはどうか」。
 海部川は21世紀につながる流れ・・・いとおしいと思う気持ち、川に届くといいな。


さらに読みたい人は…
→ 2000年に海部川を訪れた人たちの感想メール
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