四国の川を綴った名著「猿猴川に死す」が復刻されました!
小学館文庫と平凡社ライブラリーの2社から復刻されました。


幻の名著と言われた四国の川の随筆集が文庫本として復刻されました(2005年3月)。

「猿猴川に死す」森下雨村

湯川豊東海大教授のすばらしい書評の一部を引用させていただきます。

「猿猴とは、土佐で河童のこと。猿猴というアダ名を持つ投網の名人の不慮の死を語る表題作をはじめ、全編に川のきらめきと水の匂い、さらには川で遊ぶ男の喜びがあふれている。端正で気品さえ感じさせる」(中略)。
「【八畳の滝】という一編には、アユの友釣りに行った吉野川上流部で、不思議な少年に出会う話が語られている。少年と一緒に川で遊ぶ至福の時間が抑制のきいた文章から現れて、読んでいてため息が出た」)

「四国の川と生きる」の対談でも話題になっていましたが、四国の川を語るうえで欠かせない書物と直感しましたが、昭和44年刊行でしたが長らく絶版となっていて入手できなかったものです。

それにしても大歩危小歩危に優る景観と言わしめた八畳の滝はどこにあるのだろう? 現地は早明浦ダムから大橋ダムにかけてのいったいでダムの底に沈んでしまったか、ふたつのダムにはさまれて自然の川の相(すがた)は見る影もないのではないかと思われます。

大川村の筒井さんに話を伺ったときにもおっしゃっていたが、山の人間が山から下りるとやがてどこに行ったのかわからなくなるという。まちの暮らしに負けて四散してしまう山の一家の典型が苓北地方にはあったのだろう。

「八畳の滝」で主人公が「山のものは、やっぱり山におる方が間違いがない」と語る少年の父。その父が語る「日本は神様の国…。このわたしもいつ何時でもお役に立つ覚悟を…」と語る主人に対し、山の奥には人がいる、と結ぶ著者に同化している自分に気付く。

失ったものは深い。不可逆性の開発が行われると、どれほどの代償を払っても取り戻せないことを知っている。しかもダムの寿命なんて数十年。四国の川と生きる―。そんな人々はどこに行ったのだろう。


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