感性工場、愛情商品
とある県内の工場を訪れたとき、案内役の社長が「わたしが植えて育てています」とまっさきに花壇を自慢された。植えたものの週のほとんどが東京出張なので、女性従業員に「声をかけて水をやってあげて」と頼んでいる。工場に入ると、溶接の火花やモーターの騒音が飛び交う工場の一角に不似合いな机があり、そこで社長が仕事をしている。冷暖房のない工場の一角である。現場主義をこれほど雄弁に語る事例はない。工場は5Sが徹底していて品質管理に情熱を注ぐスタッフの姿勢がひしひしと伝わってくる。しかしここまで来るのに数十年かかったのだという。

社長は毎日取引先金融機関に営業レポートをファクスで東京から送信している。「うまく入って行けた、怒られた」などの感想を率直に綴っているという。月次の経営報告さえ事欠く経営者が少なくないなかで、「金融機関にこと細かく伝える。真実を伝える」という姿勢の徹底ぶりは信仰にも似ている。

一方で徳島の現場(スタッフ)からは、本日うれしかったこと、苦しかったことなどの報告が毎日社長の元に届けられる。堅苦しい報告書はそれだけで文言の化粧が施される(と社長が考えたかどうかはわからないが)。中小企業であっても悪い情報はなかなか経営者に届かない。だからくだけた形式にしたのではないか。しかし生産現場は工場長に任せたきりノータッチ。社長はきょうも東京に飛んで営業に汗を流している。

モノづくりも店づくりも感性。そしてそれは天性のもので研修によって身に付けることはできない。しかもヒトは組織のなかで次第に感性を埋没させてしまう。感性創造の職場こそが付加価値の源泉であり、未来の利益を宿した果実なのではないか。

この国の生きる道、一人ひとりの生き方について、豊かな感性こそが唯一光り輝く財産なのだと信じたい。
あなたの会社で「全従業員対感性社員比率」は5%を越えますか?
あなたの商店で抱きしめたいほどの商品「全商品在庫対愛情商品比率」は10%を越えますか?

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