| 風の回廊 | |
| 懸想文売り 六月二十五日橋 日曜日 白き国 わからないこと 涼谷のおばあさん 三木家の伝承 プレゼンテーション 電子の妖精と風の妖精 風の回廊 |
プレゼンテーション わたるは帰宅した父に言った。 「せみなし川の改修工事の計画なんだけど、進んでいる?」 「利害関係者や各省庁、県と調整をしているところだ。あれは河川改修と都市開発が一体となった総合的な都市計画だから手続きにも時間がかかる」 「ところで、計画を市民から募集するってのはどう?」 「いい考えだが、何でそんなこと言うんだ?」 「せみなし川を散歩する市民は多いから、変な工事をしたら後で問題になるよ。一般からアイディアを募集する形にすれば、批判も起こりにくいし市民が主役の行政を行う市長の評判が上がるよ。とにかく二期目は実績が重視されるからね」 「ほほう、おまえはなかなか政治家向きだな。さっそく土木部長と相談してみるとするか」 わたるの父は目を細めていた。やはり政治家の息子は政治家なのか---。言葉の意味もわからずしゃべる息子に感心する親馬鹿を作りだしたのは、市長説得のセールストークを吹き込んだ照男である。わたるはそれを一字一句違わずにしゃべったのである。 それから一週間後。上機嫌でわたるの父は帰ってきた。 「おい、わたるが言ってた件、土木部長が乗ってきたぞ。予算として予備調査費が使えるらしい」 「議会対策はどう?」 「市民参加の提案に正面切って反対する議員はいないだろう。念のため各会派には根回しをしておこう」 猿回しは知っているが、根回しという言葉はわたるの辞書にはない。しかし台詞を忘れないうちにいわなきゃ。 「じゃあ、審査会に市民を入れてみたらどう?」 「それはいいが、審査会にどこまでの権限を委ねるかだな」 わたるの父が言うには、青写真の段階であっても行政側の基本計画は進んでおり、その素案と整合性のない案を審査会が提出すると困る。そのため、ある程度市の方針を理解し賛同する委員が多数を占めるような人選が鍵となる。 「それなら、いい人がいるんだけど」 「ほお」 「せみなし川の風景を描きつづけている有名な若手女流画家を知ってるんだけど…」 「そんな人がいるのか?」 「これがプロフィールだよ」 それは、印刷された秀麗な個展紹介パンフレットであった。 「二科展入選か。中央で活躍しているんだな」 パソコンの達人、照男のお得意技である。こうして、審査会に入る数名の市民のひとりに抄子が決まった。 次にプランの作成である。4人はピクニックがてら、六月二五日橋に集まった。照男が持ってきたノート型パソコンに、抄子が書いた下絵を取り込んで、さらにみんなの意見を聞きながら現場で画像編集をしようというものである。 「そこの緑はもうちょっと淡い方が…」 「色なんてどうでもなるの。もっと基本的なところで意見を出してくれよ」 「どうしろって急に言われても…」 川の工事の経験のない者が向かい合っているんだから無理もない。 「そうだ、隣町で自然を残した川づくりをしているんだ。見に行ってみないか?」 照男の話では隣町には小さな小川があり、町で住む人々の意見を採り入れ、それをもとに専門家が具体的な計画を立て、土木業者だけではなく市民が川の石積みや土手の植樹に参加して工事を進めていったのだという。なんでもスイスやドイツで行われている近自然河川工法というのを取り入れたらしい。照男は観測機材が満載された車内を整理し、小柄な三人が何とか乗れる空間を確保した。 「なかなか、いいじゃない」 土手には石を敷きつめ、水際には石積みの階段がつくられて土手にはコスモスやひまわりが植えられていた。河川改修といえば、コンクリートで固めるものと思っていた三人の目には新鮮に映った。 「こんな工事の方法があるのね」 「コンクリート三面張りよりいいわね」 「見た目はね。でもこの護岸には生き物は住んでいないし、草の生い茂る土手のように水の浄化作用もない」 「以前はどんな川だったの?」 「竹林が川を取り囲みながら、水辺には雑草が生い茂り、ゲンジボタルやドジョウ、ナマズがたくさん住んでいた。ほんとうにいい川だったんだ」 照男が遠くを見つめるまなざしでつぶやいた。 「自然に近いのは見た目だけってこと?」 「まあ、天然記念物の生物でもいれば、また違った工事がされたかもしれないけど、ホタルやドジョウのようにどこにでもいると思われてる生き物は無視されてきたんだ」 「ところが、日本中でそんな工事が行われた結果、春の小川の代名詞だったメダカさえいなくなって、いまじゃデパートで売ってるって話じゃない」 「土手のお花畑はきれいでいいね」 「ところがそうでもなくて、もともとここに生えていたのは竹林だったわけ。その伐採跡を化粧するためにメキシコ原産のコスモスを植えたんだ。---そこににある---ってことがどういう意味なのかわかる?」 「ゆっくりと時間をかけて、たくさんの動植物が互いに影響しあいながら、その土地特有の複雑で微妙な共生関係をつくりだした結果が、---そこにある---ってことでしょ」 抄子はひそかに勉強していたのだ。もっと川のことを知りたい、自然のしくみを感じたい、そしてそこに人がどうかかわってきたのかを。 「そう、それを生態系って呼んでるけど、要するに遺伝子資源の多様性を指しているんだ。遺伝子には進化の歴史が閉じ込められていてね、どんな草や木、虫や魚、動物にも固有の遺伝子があるんだ。それは生命四〇億年の進化の歴史でもあるし、太陽系五〇億年の歴史かもしれない。さらに遡って一五〇億年という気が遠くなるような宇宙の時間そのものともいえるよね。すべての生物には固有の遺伝子があるわけだけど、それが場所によって時間によって違うものなんだ」 「私たちはもっと勉強しなきゃ」 「そう。そこに住んでいる人たちが勉強してもっといい川にしていきたい。忘れてはいけないのは、人が川をつくるんじゃなくて、川が川をつくる、その営みを邪魔しないこと。この国では、竹林や石積みなどのヒトが川につくった構造物があるけど、それらは人が川と親しんだ文化そのものなんだ」 決して雄弁でない照男だが、ところどころつっかえながらも堰を切ったように言葉があふれだした。 「遺伝子は未来を指さしているのね」 「道端の雑草も大切なんだ」 菜摘とわたるにもおぼろげながら何か伝わったようだ。 抄子はあの祭り歌について、菜摘の一言が耳に残っていた。 (山と川をつなぐもの、人は何をしてきたの…) 物思いにふける抄子に照男は話しかける。 「問題はね、感情論を審査会で言っても意味がないんだ」 「一般論ではなく具体論、総論ではなく各論、絵空事でなく実のある話ね」 「それもあるけど、何せお金が動くことだからね。積極的に賛同してもらうのがむずかしければ、中立または消極的反対でもいい。とにかく各委員の立場を分析して反撃材料をつぶさねばなるまい」 照男はため息とともに腕を抱え込んでしまった。審査会の日程は迫っている。 第一回審査会 世話役の職員に案内されて、抄子は市役所内にあるふかふかの絨毯が敷かれた会議室に足を踏み入れた。歴代の市長の銅板画が部屋の壁から見下ろしている。観葉植物の葉には埃がつもり、円卓テーブルはヤニ臭い。正直言って抄子の好きな雰囲気ではない。 審査会は、各界から選ばれた審査員7名が事前に配布された資料について検討を行うものである。抄子はノートパソコンを持参するのでビデオプロジェクターの準備を事務局に依頼しておいた。 市長のあいさつ、事務局から会の趣旨、進め方、スケジュール案などの説明があったあと、審査委員長に運営が一任された。。審査会の委員長は、地元大学の工学部の教授である。 「それでは審議に入りたいと思いますが、その前に基本案についての構想を事務局からご説明いただければと思います」 「それではご説明いたします。お手元の資料のレジメの一のところにあります、本計画策定における基本理念の項目からご説明させていただきます。まず本計画における基本理念としましては…」 これでは聞き手が集中力を持続させるのはむずかしい、と抄子は思った。創造力を羽ばたかせて絵を描く一方で討論もできる能力が抄子にはあった。彼女によれば、直感をカタチにするときに論理性が必要なのだという(あとでわかったことだが、抄子はアメリカ留学の経験があり、その際に経営学のMBAを取得していたのであった)。 そんな抄子にしてみれば、事務局の説明はまったく退屈であった。プレゼンテーションには、要点を整理、視覚化してわかりやすく提示することはもちろん、声の抑揚や強弱を変え、ときには具体的なエピソードを添え、アイコンタクトを重視して印象づけるなどのパフォーマンスも必要だ。 市の計画とは、せみなし川沿いに大規模商業施設と高層住宅を整備する総合的なアーバンコミュニティ構想で、同時に既存の道路を拡幅してアクセスを改善し、河畔林に囲まれたせみなし川沿いを一大親水ゾーンに変貌させるものであった。環境影響調査を行うことで周辺環境へのダメージを最小限にとどめる用意があること、都市計画については知事と協議の結果、変更される見通しであることが補足された。 続いて各委員から意見表明や質問があった。一部の委員からは、商業施設の中核となるテナントはどこを想定しているか、そのことによる地元商店街への影響はないか、国や県からの起債、補助を受けて行うことによる市財政の悪化についての懸念などが表明された。が、大方の委員は、市が提示している計画を大筋で承認する雰囲気であった。 これまで沈黙を守っていた抄子が手を挙げた。 「私はせみなし川沿いで絵を描いている者です。ここで少しお時間をいただいて、せみなし川をめぐる四季の変遷を拙い絵でお見せしたいと思います。その前にプレゼンテーターをご紹介します。すみませんが、部屋の外で待っている子どもたちを部屋に入れてあげてください。私の助手です」 事務局は何が始まるのかやや不安そうな面もちで抄子の指示に従った。入ってきた子どもたちは仮面を被っていた。これも演出のひとつなのだろうか。 「こんにちわ、風の妖精です」 「こんにちわ、懸想文売りです」 二人がこの物語の冒頭に起こった事件を寸劇で表現し、抄子が絵と音楽を加えた。最初はうさんくさそうだった各委員は、寸劇が終わる頃には食い入るように見ていた。 「これはおもしろい」 拍手が自然に起こった。抄子は続けた。 「この物語は、今起こっている事件と、この土地に古くから伝わる物語が密接につながっていることを示唆しています。白き神様が主宰する白き国がきびたき山のどこかにあって、そこから風の妖精がせみなし川沿いの河畔林に沿って降りてきます。私たちはその通り道を風の回廊と名付けてみました。かつて旧暦の6月25日には風の祭りが行われていて、それが6月25日橋の由来となったこともわかりました。このように、せみなし川ときびたき山を結ぶ地形には、まだまだ私たちの知らない伝承やロマンあふれる物語が埋もれているはずです。それを地元の私たちと全国から訪れる人たちが一緒になって掘り起こしてみれば、きっと話題になります。費用はかからなくても広報効果は抜群、湯布院に負けない一大観光拠点になるかもしれません」 抄子は画面上にエクセルをリンクで呼び出した。 「具体的な経済波及効果はこちらです。左側がこのソフト事業の費用であり、右側がそれによってもたらされる利益です。なお経済効果の算定については、流入客等の不確定要素は低めに見積っており、費用については多めに見積もっていますが、国の施策で使える助成金はあると思われます。また数字の根拠は可能なかぎり各省庁の白書を基本に統計手法を駆使して予測しています。注目すべきは、交流人口の増大による地域の増収は控えめに見積もってもこれだけの数字となることです。その結果、当初の投資計画と比べて公債比率がさほど上昇しません。いかがでしょうか。全国どこにもないここだけの情報発信をそこに住んでいる私たちの手で、市民と役所が本音でぶつかりあいながら汗をかいて実践してみませんか」 しばらく沈黙の後、委員の一人の商工会議所会頭が口火を切った。 「いや、すばらしい意見です。私もこの意見はなかなかいいと思う。何より夢があってよろしい。しかしそうはいっても、実際にやってみるとなると、この事業にはあまりに不確実な要素が多いようにも思えるんですわ。例えば、市民が動けといわれて動くかどうか。地域の活性化には、公共投資が即効性があるでしょうな」 続いて県建設業協会会長の発言。 「わしもすばらしい発想だと思う。思うけれど、ただ心配なのは、銭をかけずに効果が期待できるか、まさにそこなんです。やっぱり人間は快適さを求めてそれなりの施設を欲しがるし、今の不況を打破するためには、公共事業によって国の補助が地方にいただけるときに思い切ってやる。そうやって景気をよくすることが一番求められておる、私はそのように思いますが、皆さんはどう思われますか」 実質的にこの審査会をリードしている二人の発言に、あとの委員も似たような発言を繰り返した。ということで、抄子のプレゼンテーションは不調に終わろうとしていた。 そのとき、懸想文売りに扮していた一人の少年が言った。 「ぼくたちの提案は事前にマスコミに知らせています。マスコミの関心は高く特集記事を組むとも言っていました。まさか審査会がこんなユニークな少数意見を取り上げないなんて、マスコミに叩かれるかもしれません。何よりみんなのせみなし川です。みんなで力を合わせて、全国でここしかない独創的な仕掛けだを成功させませんか? 市民の提案に乗るか乗らないか、最後は市の代表である市長が政治判断で決めてください」 涼しげに少年は言い放った。市長は顔色ひとつ変えずに少年を見つめてこう言った。 「本件はあくまで審査会に委ねており、オブザーバーである私の意見は差し控えたい。ただし十分検討すべき課題のようにも思われるので、良識ある委員の皆様には、その辺りをご配慮して結論を出していただけるのではないかと期待しております」 (ありがとう、お父さん!) 審査会は都合5回開かれたが、回を追うごとに抄子のプレゼンは具体化されていった。新聞の特集は一面に連載され市民の関心は高まってきた。何より抄子のプレゼンにかける熱意に心動かされた各委員は、自分たちの利害を棚上げしてなんとか支援したいと思うようになったのである。4人の熱意が壁をうち破ったのだ。 その結果、河川改修を巻き込んだ大規模都市計画は、市民参加によるソフト事業に変更され、全国でも珍しい事例となった。何よりも大勢の市民がかかわることで、老若男女を問わず人々の顔に生き甲斐が感じられるようになった。都会から移り住んだ若者による芸術家コミュニティが自然発生し、地元からはエコツーリズムのボランティアガイドが常駐して一回十名程度の人々をせみなし川に沿った「風の回廊」に案内している。話題の映画のロケも行われた。 それはともかく、歴史の転換点にいた二人の子どもと二人の大人の思いが引き金となって市民からの活発な意見が寄せられ、プランは練り上げられた。そして多くの市民が手弁当で参加するという理想のカタチとなった。 ここまで来るためには、夜も寝ないで考え抜いた抄子と二人の子どもの迫真の演技力、全体の流れを予測してロールプレイで徹底的に台詞を仕込んだ総合プロデューサー照男の苦心があった。最後の委員会が終わったとき、四人で祝杯を上げたのは言うまでもない。 次へ |
| 著作権は平井吉信にあり、文章の無断転載、引用は禁止します。 Copyright(c)2001 Yoshinobu Hirai, All rights reserved |