勝浦川と棚田の
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標野ゆきさんのエッセイ
    いよいよ上流の棚田へ──。鬱蒼とした杉林を抜け、ぱあっと明るくなったと思ったら、そこには美しい曲線を描いた棚田が広がっていた。バスの中は「わあ」とため息まじりの声。夕日が稲穂を照らした風景にみんな息を飲んでいる。

 その昔、米は経済や生活の中心であり、いかに効率的に米を作るかが百姓の知恵であった。標高600メートルまで水路を張りめぐらせ、劣悪な自然条件と闘いながら築かれた棚田も、高齢化による耕作放棄や山林への転換が進んだ今、耕作する苦労は並大抵ではなく、数年後には維持できなくなりそうだともいう。
「棚田は大きな水の器であり、ミミズの穴が都市を潤している」と棚田を守る会の谷崎勝祥さん。

 確かに棚田での農業はもはや経済的には成り立たなくなっている。しかし、降った雨を受け、時間をかけてゆっくりと川へ流す棚田は、すばらしい水循環のシステムでもある。近年、棚田に注目が集まるようになったが、棚田が持つ治水・利水効果はもとより、その文化的な意味、生態系に果たす役割については、村人も気づいていない。

 棚田を見た都市からの参加者は、「経済的に成り立たないものが排除されるのは時代の流れかもしれない」「棚田を初めて見て美しいと感じたが、崩れた様子を見るとあまりに作業が大変そうで自分の手でやってみたいとは思わない」などと感想を述べた。
 しかし今回の見学会は、自分たちの暮らしの意味を見つめ、それを外に向けて発信する絶好の機会となった。

 棚田の耕作は、農家にとって当然の作業であり楽しみでもある。少々大きな自分の庭を手入れするかのように、草を刈り、耕し、種を蒔いて畦を盛り、水を張り、苗を植えて成長を見守る。虫たちとも時に闘い時に助け合い収穫を迎える。

 四季折々に変わる田の表情。春には水を張った田ごとに月が映り、夏には青々と繁った稲が涼しげに揺れ、秋には頭を垂れた稲穂が黄金に輝く。それぞれが自分の手で作る風景──なんと贅沢なことか。そして、自分の糧を得る作業が知らず知らず周りの動植物を育て、水を守っている。私たちの暮らしは都市の生活に大きく関わっている。都会の人たちに「棚田の耕作はほんとうに楽しい」と白状するべきだ。

 勝浦川流域には、それぞれの生活があり、楽しさも苦労もある。しかし、現状が暗いと逃げずに、精いっぱい明るい未来へとつないでいこうとしている。棚田のミミズたちもがんばっている。これを問題提起として、川で結ばれた山村と都市の暮らしについて深く議論していただければ幸いである。未来の勝浦川も美しく豊かに流れていることを信じている──。

  標野ゆき