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ネットワーク創立イベント(1998.2.22)に寄せる田中由宇子代表の思いです…。
「森と海と人…いま始まる勝浦川ネットワーク」を終えて

 私たちのネットワークは二月二二日に歩きだしました。設立イベントは親しみやすい企画になったと思いますが、いかがだったでしょうか。

 当日は、たくさんの方にご賛同いただき、心強く思うとともに、身の引き締まる思いがしました。
 宮城県からお招きした畠山重篤さんは、牡蠣の生態やたくさんの海の生き物たちについて、時に語りかけるように、時に熱っぽく語っていただきました。昔の海を取り戻したいと、上流の森に目を向けたきっかけは、子どもに自分の仕事を継がせられるかという悩みだったようです。しかし十年の活動の結果、ウナギやタツノオトシゴが確実に増えた・・そんな海を見て、若い人が自分の生まれ育った土地で生きていこうと思えるようになったことはすばらしいですね。

 前日に谷崎さんと空港までお迎えに行き、勝浦川の河口から源流の棚田までを短時間でご案内しました。雪と氷に閉ざされる北国から見れば、南国の象徴であるみかんと上勝の棚田には特に心引かれた様子でした(みかんを後日お送りしました)。さらに、葉っぱが料理のつまもの「彩」として出荷されていることに驚かれていました。

 畠山さんと同行された熊谷龍子さんも東北の風を運んでくださいました。情熱を内に秘めた静かな語り口が印象的でした。
「このネットワークの十年後に期待しています」という畠山さんのエールに対し、私たちも身近なところから、できることから始めたいと思います。たくさんの人が遊び学んでいる十年後の勝浦川を目指して…。
(代表 田中 由宇子)


 「流域ネットワークは時代の必然」

 勝浦川流域ネットワークの発足に駆けつけた気仙沼湾の漁師畠山重篤さんは、その著書『森は海の恋人』で全国に知られるようになった。森に樹を植えようという畠山さんの呼びかけに対し、素直に共感したのは子どもたちであったという。

 漁師が山に樹を植えるのには理由があった。気仙沼湾の生産力の九割を支えていたのは、そこに流れ込む大川が運ぶ広葉樹の森に含まれる物質〔フルボ酸鉄〕であり、それが海のプランクトンを育んでいたのだ。

 今年で十年目を迎えた植樹活動は、ますます広がりを見せている。地域の活性化と環境保全が密接に結びつき、生活感を伴って実践されているからであろう。しかしその一方で、行政の縦割りやダム建設を強行する姿勢には厳しい意見も出た。
「一度四国に来たかったの」と言葉を選んでおだやかに語る熊谷龍子さんは、晴耕雨読の生活をしながら歌を紡がれる歌人である。海は森を森は海を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく、という彼女の歌からこぼれおちた柞(ははそ)の森のしずく…それが「森は海の恋人」なのだという。

 流域がひとつになって、自分たちの生活を足元から見つめる時、森と海を結ぶ川の存在に気づく。健やかな川の営みを尊重し、自然に寄り添って生きることを未来の子どもたちに伝えていく…「森は海の恋人」は、川と地域の人々の親密なかかわりの始まりであり、流域ネットワークの船出に必然だったのではないだろうか。