東祖谷と三嶺・探訪絵日記その2
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重要文化財木村家。今もここで木村家の人々が暮らしている。庭先にぽつんと銀杏の木が印象的。1998年秋の写真。
中学生のお兄ちゃんと弟(1987年)
当時小学生の女の子(1987年)
一日中走り回る。
1987年の秋の空は澄んでいた。だから茅葺き屋根とともに三角に切り取った。

木村家とその周辺の人々

 重要文化財木村家を訪れたのは2度目である。その前に来たのは1987年。そのときの写真がある。

 今から14年前の秋。木村家の茅葺き屋根が空を従えて目に飛び込んできた。家人にあいさつをして、部屋を見せていただいた。代々の家長の肖像が掛けられた部屋には囲炉裏があり、時間の経過を刻んだ畳が敷かれていた。

 外へ出たらこどもの歓声が木霊していた。お姉ちゃんが5歳くらいの弟と遊んでいたがその遊びを見て驚いた。なんと姉が弟の足を引っ張っていく。弟はアスファルトの舗装路をコンコンコンと頭で音を鳴らしながら引きずられていく。それでも弟は笑っているではないか。

 やがて子どもたちは崖をよじ登った。高さ3メートルぐらいのところから次々と飛び降りていく。大人でも怖い高さである。骨太で野性的。しかも強いまなざしを持ってこちらを見る。思わず背筋を伸ばしたくなるような張りつめた雰囲気に目を見開いた。言葉の抑揚が徳島の言葉でないことに気付いた。少なくとも関西風ではない。これが平家の落人の子孫たちなのか。

 それから近所の家の庭でぼくが持っていたバトミントンのラケットで遊び始めた。

 そして1999年。久しぶりに木村家を訪れたついでに足を伸ばしてみると、あった。あの頃のままでほとんど変わっていない。ぼくは持っていた写真を家の人に見せて「この女の子は今どうしていますか?」と聞いた。徳島市内で看護婦さんをしている、と聞いたような気がする。あれから14年、おさげの少女も二十歳を越えたぐらいだから村に残っていないのは当然かもしれない。

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