体験ではなく「体感」 


体験ではなく「体感」 

モノ余りの世の中、もはやモノでは感動しない。だから物語を、だからこだわりをというのがいまのマーケティングである。

観光では体験型が話題になっている。ぼくは上勝町の市宇集落を舞台に「棚田の学校」を地元有志と共催して7年になる。それまでは集落に訪れるのはそこに住んでいる人だけ。町内にいても行ったことがないような場所で、クルマが通れる道が最上部の集落までついたのもそれほど昔ではない。旭川という勝浦川支流の谷を見下ろす南面の集落は天空の城ラピュタにも似て空が近く感じられ、ここ数年に訪れた人が誰かともなく「天上の楽園」と呼ぶようになった。

ここの棚田は、先の徳島新聞の上勝特集でも出てこなかったところだが、ファンは年々増え、インターネットで情報発信すると、遠くは京阪神、ときには関東からも訪れる。インターネットがなければ考えられない現象である。参加者も食事の用意をしたり洗い物をしたりとともにつくっていく。その楽しそうな様子はWebサイトでご覧いただくとして(「勝浦川と棚田の学校」)。

体験型観光とは、都市部からの訪問者に、普段の田舎の日常作業を物珍しそうにやってもらって対価をもらうことと考えたらそれは浅い。あるいは金儲けにつなげようとする意図が露骨に出れば、訪問者は敏感に察してしまう。体験型観光は、やっていて楽しいかもしれないが、金儲けにはつながらないといわれるゆえんである。

果たしてそうだろうか? なにか大切なことを落としていないだろうか。体験型とは、「こうするのだ」というパターンを知らない人たちになぞってもらうことだけではない。それだったら、もてなす側(商売人)と、もてなされる側(客)が明確に分かれているほうが互いに気を遣わなくていい。

モノあまりの時代は、レールの上を歩いていく退屈さと隣り合わせ。すべてが予想した通りに進行していく日々。そのことに納得はしても感動はしない。感動とは、予想を超えていい意味で期待を打ち壊すできごとが起こったとき。しかも、できごとの傍観者ではなく分かち合えたとき。

だから体験するというよりも、「体感する」というほうがしっくり来る。ありふれた日常のなかにときめきや感動を見出せる人、そんな人の近くにいるだけで心がときめく。365日の平凡な日々に毎日何かを積み重ねていく地道な生き方のなかに感動の原点がある。自分の仕事に誇りが持てなくて、惰性に流されて日々をしどけなく過ごしているとしたら、あなたが嘆くべきは安月給ではない。

ひとを感動させようとしても意図してできるものではない。でも共感してもらうことはできるかもしれない。共感してもらう対象があなたのやっていることだとして、あなた自身が打ち込んでいなかったら、細やかな気配りと信念に基づいた毅然とした態度を貫いていなかったら感動にはつながらない。ひとに認められようと認められまいと自分の道を歩むだけ。韓国ドラマ「チャングムの誓い」はそんなことを感じさせてくれるから人気があるのだろう(ぼくも好きだ)。

誰かと感動を分かち合いたい。まずは理想を描き、いったんはその理想を消し去り、地道に一歩一歩進んでいくと、はるか遠くの理想郷に少しずつ近づいていくのが感じられるはず。

感動させるとは、自分が感動する姿を見てもらうこと。そこからなにかを感じてもらう。だったら、毎日たこ焼きを焼いているあなたも、駅の改札業務をするあなたも、安全なクレーン操縦を心がけているあなたも、おはようを同僚に言うあなたも、ありふれた仕事のなかに意味を見出し、いつも新鮮な心で日々を過ごしているとしたら、それが感動の最初の一滴。そのしずくが流れを集めて流れ出し、やがては誰かの心を動かし、旅路のはては自分自身に戻ってくるからたまらない。人生においてそれ以上にすばらしいことはあるだろうか?

モノ余りの時代に、モノを売る手続きは面倒だ。二十年前なら、商品名を多く露出しただけで売れた。いまは、興味のある人に絞りこんだ情報提供をすることでようやく振り向いてもらい、魅力的な提案(コンセプト、理念)を提示して購買という行動につなげ、さらにアフターで後押ししてファンをつくらなければならない。ブランドづくりとも呼ばれるこの手続きは数年から十数年かかる(ぼくが商工会などでセミナーを行うのはこのあたりのテーマが多い)。

それを瞬時になしえる方法があるとしたら、それが「体感」。今日の日のために念入りに準備してあなたをさりげなく待っている山あいの農家や海の男たちが屈託のない笑顔であなたとともに汗の結晶を刻んでいく。そのとき、商売と客の関係を越えて共鳴する。まなざしを行き交う光は一秒間に数え切れないやりとりをするが、そのときあなたの魂が相手を照らし、相手の魂があなたを照らす。それが体感型観光の真髄だ。もしかして体感型観光のなかに企業や商店街の未来を切りひらくヒントがあるかもしれない。

昨日までは見知らぬ誰かと、ひとつの目的に向かってなにかをつくりあげることが体感であり、その実践が「類は友を呼ぶ」につながる。気がつくと、やろうと思ってできなかった「顧客を選ぶ」ができている。まずは夢を飛ばそう。それもできるだけ遠くに。好きな顧客とともに未来を紡ぐ「体感経営」でありたい。

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