「絵の中のぼくの村」〜「ぼくのなつやすみ」
 四国は高知の山村を舞台にした映画「絵の中のぼくの村」(1996年)の断片をちらっと見た。高知県はなぜか、山村で川を舞台にした作品が多い。映画のことはよくわからないが、舞台は仁淀川最大の支流上八川川の上流に位置する吾北村。村人全員が写真家として日常生活を撮影している写真立村だ。
 川で遊ぶ双子の兄弟が出てくる。小鮒釣りしかの川のような光景に胸を打たれる人もいるだろう。かつてはどこにでもあったなにげない里山の光景が高度経済成長の開発で消えていった。

 絵の中のぼくの村と吾北村については、吾北村のホームページに詳しい
 http://www.mediaac.co.jp/gohoku/topj.html

 コミック作家では、青柳祐介の「土佐の一本釣り」。それから物部川支流の舞川や屋久島に負けない深い森を持つ三嶺南斜面の渓谷を舞台にカッパが現れ、村人や子どもたちと接触する「川歌」が忘れられない。アユの天秤釣りなどの場面を見ていると、からだの奥底が疼く。青柳さんは昨年8月に56歳の若さで亡くなられた。吉野川へも何度か遊びに来られている。惜しい人をなくしたが、「川歌」全7巻はと今も手に入るのだろうか?

 四万十川を舞台にした有名な小説として「四万十川-あつよしの夏」(笹山久三著)がある。さらに戦前の作家で「猿猴川に死す」という作品を書いた森下雨村について、京都新聞の論説委員で名著「山釣りのロンド」を書いた熊谷栄三郎さんは次のように語った。1997年秋に吉野川の河原で焚き火とともにしみじみと聞いた話である。

「山、川へ行くといろんな話があります。それが人の生死にかかわるとしみじみします。戦前の推理作家に森下雨村という人がいます。東京から、生まれ故郷の高知に帰って釣りばかりして暮らした人です。「猿猴川に死す」という、おそらく絶版になっている本があります。この人の文章はしみじみとしたいい文章です。エンコウとは釣り好き、猿という意味なんです。猿のようにすばしこい投網の名人だったエンコウというあだ名の爺さんが、子どもが溺れているのを見て助けようとして川に飛び込んで頭を打って死んでしまったんですね。やさしい心根の中に釣り三昧があった。四国ってすばらしい処ですね」

 四万十川の下流の口屋内の集落には、カヌー人を素朴に迎え入れた野村のおんちゃん((野村春松さん)がいる。口屋内は、支流随一の透明度の高い黒噂川が流れ込み、古びた沈下橋から子どもたちが飛び込む桃源郷のような場所である。その野村さんの話を聞き書きしたのが「四万十 川がたり」。酒をちびりちびり飲りながら野村のおんちゃんの口から飛び出してくる川人生にってみては。

 吉野川上流の苓北の村、大川村にはかつて村の教育長をされた筒井正男さんを訪れたのが異常渇水で早明浦ダムが干上がった1994年7月17日のこと。そのときに伺った話も忘れられない。自分一人で温めておくよりも、多くの人に聞いてもらえればと思う。
→ 早明浦ダムに消えた村

 南四国は、人と自然の濃密なかかわりがある。そのつながりの糸は年々細くなりつつあるけれど、やはり南四国の川は別格だ。テレビゲームもいいけれど、夏休みにそうした里山の川を訪れるのがぼくの楽しみ。今年は吾北村に行ってみようと思う。