赤とんぼ、紅葉、頬を染めた娘
 小学生の頃、近所の裏山(日の峰山)から沢が流れ出ていた。麓の水を張った休耕田には、ミズカマキリとゲンゴロウが生息していて、膝まで泥田に埋まりながら追いかけた。そこに流れ込んでくる沢を何人かで詰めていったことがある。
 一またぎできるほどの沢だけど、いったいどこに抜けているのかわくわくしながら遡る。途中で引き返してきたのか、尾根筋までたどり着いたのか覚えていないけれど。

 ぼくは、「紅葉」という唱歌が好きだ。口ずさめば懐かしさがこみ上げる。例えば、この曲を豊かな癒しの声、スーザン・オズボーンで浸る。身体じゅうの細胞がとろける美しい。けれど日本の唱歌は少年少女合唱団が歌わなければ酔えない。歌い手の存在が楽曲の後ろに隠れて欲しいから。
 大人が唱歌を歌うと感情移入してしまう。歌い上げると歌よりも演奏家が強くなり唱歌は死んでしまう。かといって(照れ隠しからだろう)距離を置いて軽やかに歌われるともういけない。
 透明度の高い少年少女の合唱団がひたむきに歌う唱歌は、どこか硬質で控えめで拙いけれど一瞬で大人を背の高い子どもに代えてしまう。

 「赤とんぼ」や「紅葉」は、深山幽谷の風景ではなく、街から自転車で遠乗りするぐらいの距離にある場所・・・里山でなければならない。
 東京近郊であれば武蔵野のような光景だろう。戦後数十年で武蔵野の面影は消えたと聞く。唱歌が児童に歌われなくなって(好まれなくなって)久しい。歌の舞台がすでに架空の世界になってしまった今では、わずかに里山の記憶をとどめる(原体験を持つ)最後の世代である現30代がプレステのゲームソフト(「ぼくのなつやすみ」)に夢中になっている。

 ぼくにとっての「赤とんぼ」の舞台は、那賀川下流のとある集落。ここは母方の里である。そこに棲んでいた叔父は10数年前に那賀川の洪水で亡くした。仕事を休んで遺体を探したけれど、叔父は1週間後に下流の水辺で発見された。その父(母方の祖父)は息子の2倍近く生きたが、20世紀最後の年に91歳の天寿をまっとうした。
 竹ひごで虫籠をつくってくれた母方の祖父と叔父は、赤とんぼの歌詞のなかでのみ生きる人となった。

 日本の風景、日本の歌、日本の女性がすばらしいのは、その風土にある。黒髪が美しい色白の女性のほんのりと赤いほっぺ。里山の減少でそんな女性も少なくなった。
 かつて大阪のユースホステルで青森から来た女の子に出会ったが、彼女はまさにそんな人だった。もしかしてあれ以来、ぼくの周囲では黒髪色白紅頬娘は絶滅したのかもしれない。
 栗色の髪が似合う人ももちろんいるけれど、そうでない人もいる。眉毛は人格を感じさせるから、薄っぺらい流行の眉はどこか人柄の薄さを感じさせる。自然のままのふわりとした線に少し手入れする程度にとどめるほうが似合うと思える女性は少なくない。

 思い起こせしてみれば、初恋の女の子は黒髪色白紅頬娘だった。彼女は高校卒業後この街を離れたが結婚して再び故郷に戻ってきたらしい。同じまちに住んでいるらしいが、18の冬休み以来逢っていない。初恋の女の子の所帯じみた姿を見たいと思う男はいない。

 絶滅危惧種は生物種だけではない。もはや少数となった風景や人にもしもどこかで出会ったら、「大切にしてください」と告げたい。雲間から差した一瞬の陽射しのような瞬間にも似ておだやかな気持ちになれるから。

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