何度でもやり直せば
人は二十歳過ぎまで教育を受け、社会人となって働きはじめ、やがて家庭を築く。その過程で学ぶことを忘れ、感性を閉じ込め、社会の形式に自己を埋没させてしまう。どうしてそうなってしまうのか。

それは、生活設計がやり直しのきかない直線になっているからではないか。人生九十年ともなれば、退職してからの時間が数十年残されている。その時間をどう過ごせばいいのか。

もしかして、他に自分の生きる道があったのではないか。自分がやりたいことは他になかったのか。社会から排除されることを怖れて、自分が傷ついていると人に言えなかったのではないか。ひとりの人間としてみたいこと、家庭人として果たすべきこと、社会人として望むことの間に距離はなかったのか。

水はめぐり、季節は繰り返し、いのちは世代交代をする。それが自然の本質であるならば、人と自然の共生とは、何千年、何万年もかかって繰り返されてきた循環する時間をヒトの一生に取り入れることではないだろうか。

循環する時間とは、一生のうち、何度か必要になる充電期間のことかもしれない。ボランティア活動、家族と絆を深める時間、自分の新たな可能性を試すための準備期間、若い時しかできないこともある。例えば、長い放浪の旅に出る…。

 そんなふうにやり直しのきかない直線的な生き方から、循環的な生き方へ変えてみる。間違っていたら人生は何度でもやり直せる、そのことに気づくこと。それが生き甲斐につながるのではないか。

 となれば、数年毎に自分を磨く時間、自分を見つめる時間が必要ではないだろうか。直線的な人生で見落としてきたこと、やりたくてもできなかったこと・・・旅行三昧、違う仕事を手掛けてみる、ボランティア、趣味に生きる、日本中を訪れる、家族との絆を深める、再度勉強してみる・・・もしかしたら違う人生があったのではないか、もっとやりたいことが他にあったのではないか。そう思ったら何度でもやり直せる・・それに気づくこと。

 人類全体で循環型の生き方をしてみたい。過ちを責めたり反省したりするよりも、ただやり直せばいい。
 人生も地球も同じ。何度でもやり直せばいい。時間という不可逆性を思い知らされたとしても、ぼくはやはり同じ思い。

 「何度でもやり直せばいい」

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