ドビュッシーから空(くう)の余韻
クラシック音楽と一括りにはすることは意味がない。ベートーヴェンとモーツァルトは生涯の友と思うけど、いつも聴きたいわけではない。いまの季節だと、南フランスから地中海にかけての風合いに憧れる。

例えば、フォーレの「ペレアスとメリザンド序曲」。それからヴィラ・ロボスも含めてスペインのギター曲。ドビューシーなら「牧神の午後への前奏曲」「交響詩 海」(有名でない小品のなかにも印象的な作品があるけれど)。なかでもピアノ曲は心浮き立つ。

この爽快感はなんだろう? 感覚でずばっと切り込まれていくけど、それでいてかたまり感がある。それが次の瞬間にはない。空気が生成消滅していくような。

だから、演奏もサンソン・フランソワが好きだ。直感の一筆書きであって、はらりとこぼれるひらめきの瞬間。ドビューシーの音楽に光と影を与えているようだ。

特に「喜びの島」は、まばゆさが散乱して匂い立つ佳曲。尖った音楽が一瞬一瞬積み重ねられていく。そのきらめきが次のパッセージに移っていって、もうそこにはいない。
時間も移りゆき、ぼくもそこにはいない。― 空(くう)の余韻。どれだけの豊かさもこの一瞬の光に及ばない。だから喜びの島。

ドビュッシーが好きなのは、この音楽を聴きながら人生に重ねているから?



フランソワのドビュッシーのなかでも、アナログレコードの廉価版としてエンジェルから出ていたドビュッシーピアノ名曲集がある。最新のリマスタリングをかけた「ドビュッシーピアノ集」(1)〜(3)もある。


ドビュッシーから想像して「空と海」の壁紙をつくりました。撮影地は南阿波のとある場所。大きさは、1074×768です。



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