ただ今を生きる〜2002年元日の決意
朝比奈隆

朝比奈は、音楽を分厚く構成する人である。
その真価が発揮されたのはブルックナーの第8交響曲のような作品。
朝比奈が指揮を始めた30代後半から半世紀以上に渡って
手塩に掛けた大阪フィルを指揮。
ドイツ人以上にドイツ的な音楽を奏でる指揮者とまで言われた。
2001年10月の演奏会のあと、過労から入院して帰らぬ人となった。

友人に朝比奈ファンがいた。
それぞれがひいきとする指揮者のレコードを買って聴き比べたり批評しあったりしていた。
彼は朝比奈のベートーヴェンの全集を買った。
ぼくは、フルトヴェングラーやワルターのような名演に心酔したが、
全集としては指揮者よりも曲を聴くべく
ウィーンフィルの響きを引き出したシュミット・イッセルシュテットと、
ラテン的な明晰な演奏を響かせたシューリヒトとパリ管を買った。

ブルックナーでは、彼はクナッパーツブッシュ、マタチッチ、朝比奈を買った。
ぼくは、熱烈なブルックナーファンではないが、シューリヒトの第8はときどき聴いていた。
あるとき彼が朝比奈の「英雄」を聴かせてくれたことがあった。
その音楽には、野武士のような風格があった。

朝比奈の音楽が深くなったのは、70を越えてからといわれる。
ぼくは若き日の朝比奈は知らないが、
もしこれがほんとうなら、60歳代までの朝比奈はまだ二流であったということになる。
しかし人生の最後で登り詰めた高みの美しさ。
朝比奈隆はすばらしい人生だったのではないか。
「昨日と違う今日、今日と違う明日」。

指揮者をめざした

20代の頃、ぼくは指揮者をめざして独学を続けていた。
高校を出て商売を始め、と同時にさまざまな分野の勉強を独学で始めた。
ひとつのジャンルで10年近く取り組んだものもある。
そうした種が活動の糧となっていると思う。

大学に行かなかったのは、ほとばしる情熱を飛翔させたかったから。
大学は多種多様の人物が集まってくる。
が、そうはいっても「こんなことをやれば安心」という
安定志向の大きな流れに乗っている。
一人で道を行くと決めたからには、
自分の直感と努力がすべて。レールのない自由な生き方に憧れた。

独学で学問を実践する楽しさを知ってしまったぼくはもう戻れない。
自分で決めた道を自分なりの方法で創意工夫しながら
一つひとつ積み重ねていく。
そして俯瞰したときの胸躍る楽しさ。

英語

ぼくは高校で習っただけの語学力で通訳や翻訳のアルバイトをしていた。
もちろん学習塾に行ったこともなければ、留学経験もない。
それでも日本にいたままで英語の勉強はできることに気付いた。

そのために取った手段は
ラジオの英語会話のプログラム2つに集中して取り組むこと。
毎日欠かさず聞き、1時間ぐらい音読して、英語のリズムをからだに刻んだ。

英語には日本語とまったく異なる波というかリズムがある。
その抑揚に乗ることがもっとも大切なことだとぼくは感じた。
単語帳を暗記する左脳英語との訣別である。

そればかりか、英語を話すことで癒されることに気付いた。
落ち込んだときにマリンブルーのワーゲンゴルフ(13年乗った)を運転しながら
英語のカセットを聞いていると、ついつい笑みがこぼれる。
調子がよければカセットを止めて英語でひとりごとをいう。
ぼくの場合、アルコールが入ると会話が英語に切り替わる。
リラックスしたときに自然と口からこぼれる。それほど英語が好きなのだ。

英語能力とは、日本語能力とコミュニケーション能力そのものだ。
留学しなければわからないことはある、という意見には耳を傾けるけれども、
何のための留学なの? そのために通過するプロセスは?

相手の感情の波を受けとめ、
微妙な言葉の言い回しを感覚的に選んで空間に放つ。
TOEFELで満点を取れる人が相手を引きつけるとは限られない。
伝えたいのは英語を話せるということではなく、
英語というコミュニケーションの道具を使って、
相手の意思を感じそれに対して自分の意思を伝えること。
大学や留学、ラジオ講座、会話を楽しむことなどはいずれも手段であって目的ではない。

まずは、自分を知ること、
自分が住んでいる国を誇りに思うこと、
祖先が積み上げてきた歴史を知ること。
語るべき自分がなければ何のための英語なの?


ヒトの感覚

ぼくは耳がいい。
ステレオやテレビに向かうときの音量はおやっと思うほど小さい。
それで十分に聞こえている。
だから人の家に行って、見もしないテレビの音が鳴りっぱなしなのは苦痛だ。

ラジカセやステレオは
電源コンセントを差し込む向きで音が劇的に変わる。
装置個体の極性と電源コンセントの極性(アース)から来る電気的な作用が
再生音の違いとして人の耳に感じられる。
理論では説明が付かないが、明快に判断できる経験値の世界。

町工場の親父さんのなかには、
髪の毛をつまんだだけで「これは○○ミクロンだ」と正確に言い当てる人がいる。
人間の感覚は精密測定器をはるかに越えている。
ホンダの高性能エンジンは
1人のエンジン磨きの天才職人が手研磨で仕上げているという話を聞いたことがある。

ぼくの耳は、コンセントを差した状態で音を出して、
その極性が合っているかどうかがわかる。
つまり比較しないで一方の状態だけを聞いて、
「この極性は間違っている」と判断できる。

さらに部屋の清掃をするとステレオの音が良くなることも
(理論的には説明できないが、かといって精神論でもなく)
実感できる。

そんなふうに耳がいいのだけれど、
だからといってオーケストラの各パートを分離して聞き分けることや
演奏ミスに気付くといった才能はない。
だけど、「これは違う」と感じる。
特にベートーヴェンの演奏では、その思いを強くした。


ベートーヴェン

20代の頃、ぼくはベートーヴェンに私淑していた
(誕生日が一日違いのこの作者と同じように、ぼくには射手座の血が濃厚に流れているんだと思う)。

名著と言われたセイヤーの「ベートーヴェンの生涯」(広辞苑2冊ぐらいの大作)を
ひと月かけて読んだ。
毎日のようにレコードを聴いて胸を熱くした。

英雄交響曲のような胸躍る音楽、第9の第3楽章や終楽章のような高みに上がっていく魂。
涙がとめどなく流れて癒される。こんな音楽、ほかにあるだろうか。

天地が避けるほどの衝撃がぼくを襲った。
(錯覚かもしれないが)
ベートーヴェンをこれだけ深く理解している人はほかにいるとは思えない、
という心境にまで達したぼくは、
当代一流といわれる指揮者たちのレコードに聴く、
魂の抜けた空虚な音符の羅列に我慢ができなくなった
(この指揮者は感じていないど…)。

こうなれば自分でやるしかない。
取り組んだ3つの柱は、
ピアノの練習(ピアノは瞬時に自分の意志を音に伝えることができる)、
スコアの解読、
そして指揮法の振り付けであった。


花伝書

指揮の振り付けとは、
レコードをかけてその振り付けをするパフォーマンス的な動きのこと。
オーケストラを振る身は美しくなければならないとの信念から。

現役の指揮者では、
カルロス・クライバーの情熱の化身をまとった軽やかな身のこなし。
もう、ためいきが洩れる。

日本には能がある。
能を演じる所作には一つひとつの意味がある。
もちろんそれは、観客のために。
そしてその流れがつくりだす観客や舞台と一体となった至福の時間。

世阿弥はそれを「花」という言葉で表現した。
彼は10代の花と50代の花は違うという。
肉体としてもっとも光を放つ若いときに咲く「時分の花」の美しさは、
ただその存在があどけなく美しい。
美しいけれどその輝きは長くは続かない。
永遠の若さに憧れる衝動が芸術そのものではないのか。
しかし年月をかさねてそぎ落とされた動きのなかから立ちのぼっていく
「まことの花」を世阿弥は最高とした。

西洋音楽といえどもそれは同じ。
だから指揮法の勉強ではなく、
100人の団員にこちらが感じたことを伝えてそれをカタチにしてもらう
人体の動き
(相手がそれをどう受けとめるかを見つめる己の心の動きと言い換えたい)
とはなんだろうというのがぼくの勉強の中心となった。

今から思うと滑稽であるが、
20代のぼくはベートーヴェンで世界を救おうとしていた。
自らの力というよりは音楽の力を信じて。
ベートーヴェンと出会わなければぼくは生きていない。


ただ今を生きる

いまの仕事で4年目を迎える2002年。
数字や理論に通じ、
どんなに困難かつ複雑な問題も
糸をほぐすように因果関係を正しく見つめて単純化すれば、
解決への道筋が開ける。
問題点がわかれば半分は解決したも同じ。
あとは感情の動物である人間を感じ、ス
タッフとともに動けるしくみをつくりだすこと。
大切なのは、人の心の琴線に触れられるかどうか。

一瞬一瞬に我を忘れて
「今を生きる」ことに徹する爽快さが好きだ。
一度しかない人生で、
自分の意志で生きていることの楽しさを味わうことが
何物にも代え難い宝物だと思うから。


Who is the conductor?
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