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第5章海部エコツーリズム

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第5章海部エコツーリズム


この章では、前章の「南阿波海部観光商業」の理念を深めるものとして、「海部エコツーリズム」を提唱する。

1,四万十川に学ぶ

自然を守る、という言葉に異を唱える人はいない。しかし、日本の「自然」とは何なのか、あいまいなこの言葉の手掛かりを得るため、同じ四国の交通の不便な地にあって、全国から多くの人が訪れる四万十川について考えてみたい。

姿を変えた日本の国土

今から数十年前、昭和30年代に拡大造林政策で植林されたスギ・ヒノキは、昭和40年代になって安価な輸入材の影響で競争力を失いつつあった。天然林とは違って保水力に乏しい人工林は、治山治水事
業を必要とし、高度経済成長がそれを押した。林業が衰退して、ダムや堰堤、林道などの土木工事が基幹産業となった山村は少なくない。

それによって生活はある程度近代化されたが、都市部との収入や生活水準の格差から人口は流出を続け、故郷の景観は著しく姿を変えていった。こうして何世紀も山とともにあった暮らしは崩壊した。

姿を変える以前の山村の暮らしはどうであったか。おそらくは、森の手入れをしながら薪やきのこなどを採取し、少しずつ周囲の田畑を耕し、四季折々に釣りや狩猟を織りまぜながらの自給的な生活で
あった。自然を利用しても、搾取したり破壊することはなく、里山がもたらす森の幸を根絶やしにしないよう何世代にもわたって営まれてきた暮らしであり、山の頂や森は天からの霊力を受け、神が森
や水を守っていると感じていた森の文化であった。映画「もののけ姫」の空前のヒットは、アジアモンスーンの照葉樹林に育まれた日本人の深層意識と共鳴したからではないか。

高度経済成長が終わる頃、ほとんどの日本の川はコンクリートで固められ、清らかな水は失われ、身近にいたトンボやメダカはいなくなり、川で遊ぶ子どもの姿が消えた。一方、四万十川は依然として山裾を洗いながら悠然と流れ、満々と水を湛えた川面に映る潜水橋からは子どもが水しぶきをあげていた。河川勾配がゆるやかなこの川はダムの適地も少なく、開発から取り残された典型的な過疎地域で、ここだけが時間が止まっていた。中流から下流にかけての専業の川漁師の存在、点在する沈下橋、森に包まれた人々の暮らし…日本の川の郷愁を心ゆくまで感じさせてくれる。

こうして、345本の支流と山からの湧き水を集めて山間部を穿入蛇行しながらゆったりと流れる大河の風景が、「日本最後の清流」として注目を集めるようになった。shimantoという不思議な言葉の響きも日本人の郷愁を誘った。

人々は幼少時代の記憶を忘れることは決してない。年月とともに思い出は美化され、心の中に生きつづける。なつかしい故郷の風景を求める人や、ストレス社会に生きる現代人にとって静かな水辺は癒しの場となる。四万十川流域には理想郷を求めて人々が都会から集まるようになり、定住する人も現れた。

新潟大学の大熊孝教授は、何百年も受け継がれてきた人と川の関係についてこう表現している。

「川とは、地球における水循環と物質循環の重要な担い手であるとともに、人間にとって身近な自然であり、ゆっくりと時間が重ねられた人間との交流の中に、地域の文化を育んできた存在である」

観光客のためではなく、村のため

人口の減少が高知県内でもっとも少ない村は、天然林(といっても人の手で管理された二次林や薪炭林)が多く残された四万十川中流域の十和村であることを高知大学の大野晃教授(地域社会学)は指摘している。広葉樹の山は治水利水に効果があるだけでなく、山そのものの生産力のため、経済活動を循環させることが可能である。
そのため、雑木林型山村経済を持つ十和村は、人口の高齢化率も低い。十和村をはじめ四万十川流域では、流域の人たちによる物産品づくりが行われており、そうした努力が大きな実を結ぶ日も遠くないと思われる。

流域面積の88%が森林に包まれた四万十川では、森と人と川が密接につながっている。自分たちの生活を取り戻そうとする試みが清流を保ち、そのことが観光や産業振興に結びついている。

・何百年もそこにあったものに学べ
・「自然を活かす」のではなく、「自然を殺さない」

先人は、恵みと災いの二面性を持つ自然に対し、力づくで征服しようとせず、自然に寄り添ってしなやかに生きてきた。そのことが、生態系の保全、国家財政の破たん、地域主権が求められる今日の大きな流れ(持続的な地域づくり)にぴたりと合致している。

明石大橋の開通によって阪神という巨大市場と陸続きになったことは、マーケティング戦略上の大きな転換点である。未来に向かって海部郡の限られたヒト、カネ、モノ、情報をどこに投入するか、官民も自治体の境もない「海部人」として何をすべきか、地域の特性を考えながら海部観光商業の理念を具現化するものとして、「海部エコツーリズム」を提起したい。

(編注)

*「エコツーリズム」と「エコツアー」の区別について、「エコツーリズム」は、観光に必要な施設、関係機関、システム、それに参加者を加えたすべての関連要素を含む概念であり、「エコツアー」は個々の旅行企画のことである。

2,海部エコツーリズムの定義

このように、訪問客の求めるもの、地元の求めるものをつないでいくと、次のような循環が得られる。

(1)南阿波の自然が持つ不思議な魅力やかけがえのない価値を体験して学ぶ。

(2)できれば、何らかの形で南阿波を保全する活動に参加する。

(3)旅行者が訪れることで、南阿波の経済活動が潤う。

(4)これらの活動によって南阿波の自然環境や風土などの資産が
保全される。

「海部エコツーリズムとは、地域のファンづくりをめざす南阿波海部観光商業の理念を具体化したもので、地域住民と訪問者(エコツーリスト)が、エコツーリズムの学校やエコツアー体験を通して南阿波の人と自然の営みを共に学び、生態系を保全する活動に参加することによって、環境保全と地域活性化に資する旅行のしくみである」

3,南阿波におけるエコツーリズム

エコツーリズムは、南米コスタリカで始まったといわれる。そこには熱帯雨林の森があり、国を挙げてエコツーリズムを推進している。コスタリカの代表的なエコツアー「モンテベルデ山」は標高約1500mの高地にあり、霧に霞む幻想的な森に色とりどりのチョウが舞う。九州と四国を合わせた面積より小さな地域に世界の動植物の5%が集中するこの国には、年間約78万人の観光客が訪れ、外貨収入のトップとなっている。

国内では、世界遺産の屋久島、マングローブのジャングルを持つ西表島、北海道などで緒についたばかりである。こうしてみるとエコツーリズムは、珍しい生態系が残されているところにしか成立しないのではないかとの疑問もわく。

しかし、エコツーリズムは地域の風土や文化に根ざしたものである。虫の声を騒音と思う欧米人とは違って、花鳥風月を愛でる日本人は繊細な感覚を持っている。日々の暮らしのなかで無意識のうちに風土と共鳴しているはずである。

ところが、日本の原風景は失われ、里山や「春の小川」は郷愁の彼方に去ろうとしている。こうした身近な自然が失われた結果、「カブトムシはデパートに住んでいる」と思う子ども、自然を守るコンクールに応募された小学生の作品の中で「太陽」が描かれていたのはわずか8%に過ぎなかったこと、これから先生になろうとしている大学生210名にニワトリの絵を描かせたところ、足を4本描いた者が6人もいたという事実がある。いじめ、電子音の洪水、偏った食生活、キレる……。教育の現場では「学級崩壊」が起きるなど、子どもを取り巻く環境は異常な事態を迎えている。自然のなかを走り回って多くの生き物に触れることが、思いやりや創造性、責任感、判断力、体力を養うとしたら、今ほど自然体験が子どもたちに求められるときはない。

激動の世紀末を生きる大人もストレスにさいなまれている。もっと身近に、もっと頻繁に、自然のなかに身を預けてネジを緩める一日があれば、また明日から元気にやっていける…そんな人たちが都会にはあふれている。

美しい宝石を原石のまま眺める

全国を歩いた陶芸家が「日本で究極の田舎暮らしができる地域」と看破した室戸阿南海岸は、東南に面して海と山が接近し、砂浜から断崖までの変化に富んだ海岸線と山肌を縫って流れる清流があり、暖かい風土を体感しながら海の幸を召し上がっていただくことができる。しかもここには、もてなしの心と地球基準の波がある。

美しい宝石を原石のまま眺めたい・・そんな需要と供給を結ぶための海部観光商業の核心となるソフトが「海部エコツーリズム」である。



4,どんな人が対象か

参加者はオピニオンリーダー

日本海の重油流出事故や阪神淡路大震災では、個人のボランティアが手弁当で駆けつけた。地球温暖化、オゾン層の破壊、森林伐採、増え続けるゴミ、ダイオキシンと環境ホルモン…人々の地球環境保全への意識が高まっているにもかかわらず、旅行業界にはせいぜい自由時間の多いパック旅行があるぐらいで、こうした潜在的な需要にはほとんど対応されていない。

エコツーリズムに関心が高い人たちは、どれぐらいいるのか、エコツーリズムの市場規模の推定について、一つの仮説を立ててみた。

まず、エコツーリズムに近似する生活者行動サンプルとして、「グリーン・コンシューマー」を仮定した。グリーンコンシューマーを「環境に配慮した製品や店を選んで買い物をする人たち」と定義した場合の消費者意識調査(電通)が、1998年12月の日経新聞に発表されている。



これによれば、「グリーンコンシューマーと定義できる人は11.0%存在する」となっている。もちろん、社会状況や定義によってこの数字は変わるはずであり、11%という数字については、東京都内が対象であったこと、不況のため環境問題をじっくり考えられる時期であることを考慮する必要はあるだろう。しかし、ここで指摘されているように「市場を攻略する際、支持を得ておくことが不可欠」であることは確かである。

もう一つの目安として、「環境」を最優先課題に押し出したある政党の得票率が人口の1.7%であった。環境問題に携わる識者の間からは、グリーンコンシューマーの比率は国内人口の1〜2%ではないかとの指摘は多い。グリーンコンシューマーは、「例え高くても」「少々不便であっても」「探してでも」環境に配慮した製品を選ぶとされているが、エコツアーの「お金をかけて」「ある程度の我慢をして」「労力を要する」旅行という行動パターンとは共通点がある。現時点では人口の1〜2%の数字を採るのが適切であろうが、この割合は年々増えることは確実である。

では、そうした人たちはどこにいるか。都市部に多いことは想像に難くない。グリーンコンシューマーは、情報を横の連携(ネットワーク)で入手している傾向が強く、全国各地の情報を得ている場合も少なくない。情報収集の手段としては、パソコンやファクス通信を使う場合が多いといわれている。メッセージの発信においては、意識レベルの高い「個」に直接発信することに重点を移したい。

グリーンコンシューマーは、例え全人口の「1%」であっても口コミ等で周囲に影響を与える「オピニオンリーダー」であることは電通の指摘を待たない。環境問題の識者の一人は、「最近ではリストラされた人たちも少なくない。この人たちは長い目でじっくり考える人たちが多い。おそらくは第1次産業に適正があったのだろうが、日本の経済構造のため自分に合わない職業を選ばざるをえなかった人たちではないか」と指摘する。受け皿があれば、田舎暮らしを求めてIターンする予備軍であり、後継者や過疎に悩む中山間地域の自治体がこの人たちの受け入れ態勢をどう整えていくか、そのことが地域の「人財」確保、ひいては活性化につながる要素としてますます重要になってくる。

以上の理由で、エコツーリズムを海部郡のイメージ戦略の基本にしたい。「清流・四万十川」のイメージが誰の心にも喚起されるように、「海部エコツーリズム」のイメージを刷り込みたい。将来は「四万十川」に負けないブランドに育て、四万十川と連携しながら南四国の活性化につなげたい。夢をどこまで遠く飛ばせるかは、「海部人」の心意気にかかっている。その基本は海部のファンづくりである。海部を訪れてゴミを落として帰るお客さんが多いようなら、それはまだ海部ファンになっていない。

海部ファンになってもらうためには、一人ひとりの海部人の夢と努力がさらに必要である。


仮定の数式と数字を用いた海部郡エコツーリズム市場の試算

(a)阪神地区の人口(500万人)

(b)エコツーリズム志向率(1%)

(c)その人たちが海部郡を選ぶ率(3%)

(d)1回の旅行予算(3万円)

(e)リピート率(50%)

海部郡エコツーリズム市場=a×b×c×d×eとする。

上記の仮定では 2,250万円となる。そこで、もう少し海部のファンを増やすことを考えてみた。


(a)の人口については、交通網の整備などで時間距離が短縮されれば大きくなる可能性はあるが、ここでは不変としておく。

(b)のエコツーリズム志向率(グリーンコンシューマー比率)は年々高まっていくことが予想されるが、現状維持と仮定する。

(c)阪神の観光客が海部郡を選ぶ際に、他の地域と競合する。その中から海部を選んでもらうために、南阿波の一元化した情報を物語性を持って発信していくことで、観光シェアを2倍に高められると仮定する。

(d)旅行予算については、地域の特産品の開発を強化し、地場の素材を使った買いたくなるような商品をつくりあげる。このことで、+1万円の買い物予算が追加されるものとする。

(e)もっとも大切なものは、おもてなしの心である。宿泊施設、観光施設、地元の商店街が徹底的におもてなしの心で接する。都会流の洗練された接客は必ずしも求められていない。方言でもいいから心のこもった言葉を最高の笑顔とともに投げかける。

この最初の30秒で印象が決まる。人々がもう一度来たいと思うのは、人の温もりと心尽くしである。こうしてリピーターが2倍に増えるとする。

修正した海部エコツーリズム市場の試算では、1億2千万円となる。

数字はあくまで仮定であるが、パラメータを変えて試行してみると、地域シェアを高めること、リピート率を高めることが有効だとわかる。地域シェアを高めるには統一した地域戦略が必要であり、リピート率を高めるには地域満足度を高める必要がある。


5,海部エコツーリズムを成功させるために

(1)自然の翻訳人を求めて

エコツアーは、学習を強要されるものでもなければ、物的満足を求めて快楽をむさぼる旅でもない。とはいえ、あくまで楽しい時間を過ごすのが目的であることを押さえておきたい。例えば、必要以上に「説明」したり、専門用語を多用しないことで、参加者が自然と静かに対話する喜びを奪わない配慮が必要である。

楽しいだけでは飽きる。押しつけられた学習には抵抗がある。自然のなかで知的好奇心を満足させ、ちょっとばかり冒険を味わい、自分の行動に社会的な意義を見いだし、土地の人と言葉を交わす…落ち葉から海に贈られる伝言、この場所にキノコが生えるわけ、みみずが棚田に果たす役割、1日に2回変化する風のメッセージ、海流のなせる技、雲の動きとお天気の関係、ウミガメの涙の意味、この地方の星の呼び名は?魚付林ってなに?何万色のパレットでも描けない水のグラデーション…すぐれた案内人は、自然の持つ思いも寄らない魔法や複雑なしくみに光を当てる。その言葉は自然を翻訳する詩となって、参加者の心に届き、一人ひとりが対象物と交歓する…エコツアーの至福の瞬間である。

どんなにすばらしい風景であっても、その意味を知らなければただの絵はがきに過ぎない。「学び」「共感」「気づき」は、エコツーリズムのキーワードであり、楽しいこと、わくわくする発見を通して、エコツーリズムを実践していきたい。

自然の翻訳家なら竹林をこう解説する

川沿いの竹林を自然の翻訳家とともに疑似体験していただく。自然の翻訳家は、一見何の変哲もない竹林からこれだけの材料を参加者に提示し、体験させてみせる。

(なぜ植えられたのか?)

竹林は、地中にしっかりと根を張って土手を守るとともに、その枝で氾濫する水の勢いをくい止め、田畑に肥沃な表土をもたらす。それは水害防備林と呼ばれ、洪水から身を守るため、流域の人々が数百年かかって築き上げてきた。

(素材としての利用)

竹林は、さまざまに利用されてきた。建築材料、竹細工の材料、食
べ物の包み、子どもの釣り竿にもなった。

素材としての竹は軽い。裂けやすいがしなりがあり、編み上げると柔軟性があり、美しい造形を保ちながら強度は高いものに仕上がる。入手しやすく容易に加工できる

竹は、大昔から細工にうってつけの素材だった。

竹の子の煮つけはおいしい。鰹節と醤油だしにほんのりと甘さが漂い、コキコキとかぶりつく。てんぷらにしてもうまい。

(体験)

笹の葉を洗って火でいぶし、お湯を注ぐと香ばしいさみどり色の茶になる。澄んだ川の淵を連想させる色である。竹の筒にご飯を入れて炊いてもいい。

(種としての竹)

竹は六十年ないし百二十年に一度開花して枯れる。しかし、十数年で元の旺盛な竹やぶが蘇る。伸び盛りの若竹は1日に1メートルを越えて生育することもある。竹の伐りだしは、樹勢が弱まる秋から冬にかけて行われる。

(竹と風習)

真っ直ぐに伸びながらも、節があり、しなやかで生命力に溢れている。そんな竹に古人は神秘的な霊力を感じ取り、竹取物語などの民話も数多く生まれた。各地に、竹の神輿、竹を割る祭り、竹に火を放つ祭りなどがある。

中国では、女子が針仕事がうまくなりますようにと、やぐらを庭に立て、お供え物をして牽牛と織女の星にお祈りをした。

日本では、棚に機を設けて神の降臨を待ち、神とともに一夜を過ごす聖なる乙女の信仰があった。中国の星祭りである乞巧奠(きこうでん)と、日本古来の棚機女(たなばたつめ)の信仰が習合して七夕の風習になったと伝えられる。六日の夜には、五色の短冊に歌や字を書いて竹に結び、手芸や習い事の上達を祈り、七日には川に流して七夕送りをした。

神が降臨される聖域として竹で依り代を作るのは神事である。最近では竹炭にして水の浄化に役立てるなど、その機能が注目されている。

(竹林のなかの史跡)

密生した竹林に分け入り、踏み跡をたどると、延命地蔵と彫られたお地蔵様があった。水難防止への祈りが刻まれているのだろうか。

(生きた堤防)

時間とともに老朽化する鉄やコンクリートとは違い、竹林は適切に手入れをしていくと、何百年も世代交代しながら再生していく。それは、いのちが循環する生きた堤防である。

(呼びかけ)

川を取り巻く竹林の回廊は、恵と災いをもたらす自然に対し、しなやかに付きあってきた歴史である。昔の人の知恵がつまった竹林を未来に伝えるため、その保全に協力していただきたい。



それまで何気なく見過ごしてきた竹林が、参加者にとっては驚きと親しみのこもった存在に変わる。ガイドに求められる資質としては、

(1)人と自然が好き

(2)対象となる自然に精通している(=そこのスペシャリスト)。

(3)案内の要望に可能な限り応えられる時間と情熱がある

(4)生態系を理解している

(5)自然と地域社会とのかかわり(風土)を熟知している

(6)それらをおもしろく人に伝えられる(コミュニケーション能力)



エコツーリズムは、多くの観光客を一か所に集めて効率よく客をさばく従来型の旅行とは異なり、せいぜい十数名以内の参加者に密度の濃い案内を行う分散型の旅行である。従って、特別なインフラ整備を必要としないかわりに、「自然の翻訳者」の育成が鍵となる。

エコツーリズムは歴史が浅く、金太郎飴のような共通のひな形は存在しないし、ハコをつくればそれで終わりの従来型の観光振興とは根本的に異なる。

しかもエコツアーの担い手は、一人ではない。思いつくままに挙げてみても、これだけの主体が関わってくる。

エコツーリズムの主体

・地域の智恵を受け継ぐ人々(土地の古老)

・手伝いのできる若者(アウトドアマン、地域外スタッフ)

・旅行代理店(熱意ある担当者)

・観光協会やマスコミ(理解に基づいた広報)

・専門家(研究者、コーディネーター)

・行政(側面から支援)

これに訪問者が加わってエコツアーを完成させる。地域の人たちだけではすべてを賄いきれないので、地域外からの応援を受け入れるしくみが必要となる。

(2)エコツーリズムの学校をつくる

地域外から人を募る際に、その受け皿として建物が必要であるが、廃校跡や民家を改修したもので十分である。ここに滞在して(これだけの就職難の時代に何かをじっくり究めたいと思う若者は少なくない)、土地の古老や自然保護の専門家、研究者の指導を受けながら、南阿波・海部で生態系や風土を実践しながら学ぶという構想である。研修内容(作業)としては、

・植樹・植林の下草刈りや間伐(林業振興┳海の生産性を高める)

・ウミガメなどの動植物の保護や調査(生態系の調査・保全活動)

・エコツアーのガイド(自然の翻訳家)、自然観察会

・ビーチクリーンアップ(地道な実践)

・フォーラムやワークショップ(成果の発表)

・上記の企画・開催(啓蒙活動)

エコツアーは、訪問客とガイドの出会いの場であると同時に、エコツアーを学びに地域外から入ってきた若者と地元民との出会いの場でもある。学生たちが巣立った後も、海部を第二の故郷として友人や子どもを連れて訪れたり、場合によっては移住することもあるかもしれない。また、エコツーリズムをつくる過程そのものを事例として全国に発信することで視察も増え、ますます注目を集めるようになる。

学校の財源については、助成金、協賛金、会費、エコツアーのガイド料などを当てることが考えられるが、間伐材や貝殻、流木などから手づくりのオリジナル製品をつくって海部エコツーリズムブランドで売り出してもよい。知恵を絞りたい。

さらに、海部エコツーリズムを側面からサポートする研究機関があれば理想である。

(3)ガイドブックをつくる

エコツアーはガイド付が好ましい。しかし、一人で回りたい人、どんなコースやメニューがあるのかを事前に知りたい人のために、「南阿波・海部エコツアーガイドブック」を準備する。この冊子はエコツーリズムのテキストとして、エコツーリズムの意義、参加者として留意すべきこと、コースの特徴や場所、所要時間等が示されており、これ一冊で概観がつかめるといったものである。

参考例として、国内観光促進協議会エコツーリズムワーキンググループの検討を踏まえて、岐阜県エコツーリズム推進協議会が発行した「飛騨エコパスポート」がある。

これは、飛騨地域を旅行する人に「パスポート」を千円で購入してもらい、その売上金を「エコ基金」として積み立て、飛騨地域の自然環境の保護や歴史資源の保全に役立てるもので、観光ガイドブックとしての機能のほかに、イベントに優先的に参加できる特典や各種施設の割引が受けられるようになっている。

(4)「エコツアーの宿」を確保する

アマゾンやボルネオ、南極探検であれば、価格が高くて我慢を強いる旅行であっても顧客は受け入れるかもしれない。しかし、阪神等の短期滞在客に身近な海部の自然に快適にふれてもらう海部エコツーリズムの場合、むしろ一般旅行より宿泊が安く食事もよいという水準を宿泊施設とタイアップして提供していきたい。

方法としては、

・宿泊施設に呼びかけて、「エコツアーの宿」登録をしてもらう。
・宿泊施設には、郷土料理を盛り込むなど一定水準の食事、設備快適度、接客を満たしていただく。
・民宿等では、必要があれば商工会等の指導で補助金や融資による、エコツアー民宿としてリニューアルを行う。
・「エコホテル」(環境に配慮した宿)として、使い捨てなどの無駄を省いて経費節減を図る。エコツアー客は一般客より納得されやすい。

・南阿波観光ビジョンセンター(海部エコツーリズムの窓口)に申込みをしてもらったエコツアー希望者を、エコツアーの内容によってセンターが登録宿に紹介する。もちろん、エコツアー優待価格である。紹介された宿はセンターに対して手数料を支払う。

エコツーリズムは、地域のイメージアップになる。海部エコツーリズムを四万十川のような地域ブランドにするために、地域を挙げての連携・発信が必要である。短期滞在客が満足してはじめて、長期滞在客へのアプローチが可能となるので、最初の段階として、シーズンオフの1泊2日メニューで試行してみる。最終的には長期滞在ないしは移住の受入れを視野に入れたエコツーリズム中長期計画を立案・実行したい。

7,海部エコツアーのコース例

海部エコツーリズムの具体的なコース例を挙げておく。コースは試行しながらつくっていくもので、あくまで例示に過ぎない。

(1)海部川

年降雨量が三千ミリを越える湿潤な海部川源流の山間部には、ニホンカモシカ、サル、イノシシが生息する。ひとたび雨が降ると、王餘魚(かれい)谷の轟(とどろき)の滝には飛沫で近づけない。川沿いにわずかに開けた土地に水田と集落が点在し、海まであとわずかというところでさえ、アメゴが棲んでいる。

地元には「だあ海部川」という川を守る地元の人々の集まりがある。また、海南町では海部川清流保全条例を制定している。あるアウトドア誌では、海部川の紹介記事の掲載を意図的に見合わせている。小さな川に全国から大挙押しかけると、許容限界を越えて無法地帯と化すことを憂慮しているからである。現に観光客の捨てるゴミが問題になっている。だからといって、そうした人たちを締め出すことはできない。誰でも川と遊ぶ権利があるし、ローインパクトを心掛けて謙虚に川と向かい合っている人たちもいるからである。そのため、一定のルールの下で川と仲良くなってもらうために、海部川保全の理念を示した清流保全条例から具体的な行動指針(流域憲章)を導く作業が必要となろう。以下は試案である。

・生態系保全を大原則とする。

・地元の人を中心に各分野の専門家を加えたプロジェクトチーム(手弁当)が時々川の状態を調査する。

・4WD車の河原への入場を時と場合によって制限する。

・ゴミは持ちかえりを原則とする。どうしても持って帰れない場合
は、ゴミを有料で買い取る制度を設ける。

・洗剤の使用や川での食器洗いを禁止する。

・河原のキャンパーに海部川保全への協力を求めるチラシを配付する。

・観光案内施設で、オートキャンプ場「まぜのおか」や、宍喰町の
船津のキャンプ場を紹介する。大多数のファミリーキャンプは、施
設の利用が快適だからである。

・NGOが海部川保全基金を設立し、寄付やカンパを呼びかける。


四万十川では知事の掛け声の下、川に迫り出す道路拡張工事を中止してまで景観を保全しようとしているが、海部川をめぐる道路や護岸工事では、竹林を伐採し、淵を埋め、コンクリートで法面を固めるなど、この川の価値を大きく損ねるような工事が散見される。どんな海部川を未来に伝えていくのか、行政はその縦割りや管轄を越えてグランドデザインを提示する必要がある。清流保全条例は川を流れる水だけが対象ではないはずであり、生態系の視点から行動指針を明確にする必要がある。すでに破壊された箇所は近自然工法で注意深く復元する必要がある。

もし日本の名川ベスト10を選ぶとすれば、四万十川、吉野川、海部川、野根川など四国の川がずらりとランクインされるに違いない。人口密度が少なく雨の多い南国四国の川は、本州の川よりずっと良好な水質を保っており、それでいて生活との関わりが濃厚である。
なかでもダムのない海部川は貴重な存在であり、「全国ダムのない川サミット」(仮称)を主宰して、自然の川の良さを全国に発信していきたい。

海部川は四万十川と違ってカヌーツーリングには適さない。水量がそれほど多くないうえに、下流にはいくつかの取水堰があり、6月〜10月頃までは鮎釣り師が多いからである。ただしツーリングでなくても、下流のゆるやかな流れの場所で水遊び程度に浮かべることはできるので、身障者や子どもたちに、水上50┰の視点から川を眺めてもらえればいい思い出になるだろう。

五感を川に遊ばせる

海南町では「海部川・川と友だち」という川地図をつくっている(コメントが一言入っている点がよい)。この地図を頼りに、貸し自転車で海部川をまわりたい。好きなところで自転車を止め、好きな場所で川と遊ぶ。いい川に必要なのは親水護岸やハイウェイではなく、それを楽しむソフトである。

奈良県の明日香村では、村のメインストリートを交互通行(信号で車を4分も停める)にしてまで自転車を優先させている。田んぼの畦道を風を感じながら走る自転車からは、ユーモラスな石像や甘樫丘から眺める飛鳥古京が万葉の絵巻さながらに蘇る。

そのため大勢の人がレンタサイクルを利用する。川地図を手に海部川をもっと楽しめる手段として、レンタサイクルの整備を考えたい。

20世紀は、川を治水、利水、産業、親水(娯楽)などと機能に分け
て考えてきた。

川を単なる水路としてではなく、またレジャーの対象としてのみではなく、川の営みそのものに心身を預けてみる。例えば、水の流れを眺めるだけで心が落ちつく、河原で本を読んでまどろむ、そんなふうに五感を川空間に遊ばせるだけでも十分ではないだろうか。

最後に、海部川での川遊びの一日も終わり、夕暮れが近づいた河原の風景を描写してこの項を終える。

訪れる川の時間

昼間…川底を滑っていく透明な水の存在に感動する。いつ見てもこのときめきは薄れない。

太陽が西に傾くと、さまざまな背景音が潮が引くようにやんでしまい、風も止まる。

その静けさを縫って、厭世観を感じさせる蜩の声が響きわたる。

(かなかなかなかな)

草むらでは、突然思い出したように鳴く、擦り切れる虫の声。

(ちょんぎいすぎっちょすいっちょん)

河鹿の鳴く声が川面に木霊し、星がひとつふたつ輝きはじめる頃、水面のきらめきが溶暗していく。音のない水紋が立つ夕暮れは、河童が遊ぶ川の時間となる。

対岸の山から木の枝の折れる音、猿の遠吠え。流木を集めた焚き火は火の粉を舞い上げ、燃えたくない竹は火に抵抗して獅子脅しとなる。

(流れ星がひとつ、ふたつ・・)

焚き火は風に煽られて燃え盛る。炎のゆらぎを見ているとだんだん無口になる。焚き火の傍らでまどろんでいるうちに眠りに落ちた…。朝になればうるさいほどの小鳥のさえずりがあることさえ知らずに。


(2)出羽島ピクニック

牟岐町の沖合4キロに浮かぶ亜熱帯植物が繁茂する島。牟岐港へは所要時間20分の定期便が一日6往復結んでいる。生活便のため運賃も安い。手軽な半日コースであるが、海部エコツーリズムの目玉の一つである。

出羽の港にはネコグルマ(手押し車)が置かれている。車が1台もないこの島での運搬の代替手段である。海の男を迎える青い屋根の民家の前を通って集落を行けば、縁側と雨戸を兼ねたミセ造りの家屋が立ち並ぶ。小高い丘に上がれば海底が手に取るように見える。岩を乗り越えて池のほとりに着くと、世界で4ケ所しかない「シラタマモ」の生息地である。お昼を食べたあと、岩の上でひっくり返って昼寝をする。すぐ後ろには太平洋の波が打ち寄せる。再び散策路に戻ってさらに先へ進むと、島でもっとも高いところにある灯台に出る。海を眺めながら、棚田や段々畑をのんびりと下っていく。春の田んぼの畦では、桜と椰子が饗宴する珍しい光景が見られる。港の集落が近づく頃、小学校(廃校)が突然現れる。ここでは映画のロケも行われた。

「向こう出羽島なつかしいところ、舟にゃ蝶々もついてゆく」(野口雨情)…。


(3)シーカヤック探検

室戸阿南海岸の白眉は、南阿波サンラインの走る日和佐の千羽海崖から古牟岐にかけての約20キロの海岸線であろう。魚付林と呼ばれる照葉樹の森を縫うように海に向かって道を滑降していくとき、太陽が大海原に繰り広げられる光のオブジェに見とれてしまう。

海から数百メートルの高さを走るこの道路で、海に接触できる地点は2ケ所。外ノ牟井浜もその一つである。この無人の海岸線を海から眺めたい。

シーカヤックをある程度経験したエコツーリストたちを、熟練したガイドが数名付き添って静かに波間を突き進む。陸からは見ることのできない砂浜や断崖が交互に現れ、いくつかの洞窟を探検する。海底に手が届きそうな透明度に驚いていると、山から海に直接落ちる滝を発見。古牟岐の港で待っているのは、いのちの洗濯を終えたような充実感である。

シーカヤックのコースとしては、鹿の首岬周辺や竹が島、那佐湾、大砂海岸の入江(初心者向)なども可能性があると考えられる。専門家の実践報告を待ちたい。

(4)ウミガメの観察と保全

アカウミガメが上陸する日和佐町の大浜海岸は、夏の夜にウミガメの産卵が見られる。ウミガメを守るため、町では灯火を消してウミガメを迎えている。ウミガメは毎夜やってくるとは限らない。産卵のときは、涙を流しているように見える。だから人々はウミガメを暖かく見守る。

大浜海岸だけでなく、海部郡内にはウミガメの訪れる渚がある。その生態を研究することが保全活動の第一歩となるが、実情は自然保護に携わる人たちの長年の地道なボランティア活動に頼っている。

悲しいことに、川や海に投棄されたビニール袋をクラゲだと思って食べたウミガメが事故死することがある。注意深く設定された動物との出会いは、子どもたちにとって一生忘れられない思い出となろう。海洋生物との出会いの裏には、人々の地道な努力があることを理解し、自分たちが何をすべきかを考えるきっかけとなる。

(5)サカナになって熱帯魚と戯れる

室戸阿南海岸では、青や黄色、エメラルドグリーンなど色とりどりの熱帯魚が見られる。南の海に生まれ、黒潮に乗って運ばれたものの、故郷に帰ることも日本の冬を越すこともできない南の海の魚たちと素潜りで戯れてみたい。スノーケリング3点セットがあればなお楽しめる。

(6)森の学校

森は、この地球上でもっとも働きものである。地球温暖化による危機が叫ばれているが、一本の木が一生のうちに固定する二酸化炭素は膨大な量である。さらに森は酸素を供給し、洪水や日照りの害を防ぎながら澄んだ水を涵養し、下流の植物(農業)のために土壌をつくりだし、海の生産性(漁業)を支え、森の生物を養い、紙や木材となって利用され、その存在によって人々に心の安らぎさえ与えながら、見返りは何も要求しない。

すでに人工林がほとんどを占めている海部郡の山林でも、手入れを続けていけば森林としての機能が高まる。枝打ちが行われているスギ・ヒノキ林には地面に日光が差し込め、下草が生えて土壌の流出を防ぐとともに、クヌギなどの雑木が定着して安定した森林相になる。これらの雑木を薪や炭として利用することも可能である。

その人手は、エコツーリズム学校のほか、姉妹都市を結んでいるまちなどから「山守」を募って交流を深めながら行うこともできる。いずれにしても、その公益性から「林業」としての採算を考えるのではなく、恩恵に預かっている都市住民が森づくりに関わっていけるよう、海部エコツーリズムを活用したい。地元の古老の知恵を訪れた人が学ぶとき、海部百年の計として子孫末代にまで恵をもたらすことだろう。

(7)その他

〔由岐町〕

・昔話と史跡めぐり(海女やいただきさんの話を古老から聞いて史跡をめぐる)

・海辺のグリーンツアー(浜辺の植物やハマボウの群生、鹿の首岬、巨樹めぐり)

・明神山(ウバメガシの群生と山頂からの眺望)

由岐町は、海部郡内でもっとも広葉樹(魚付林)が残された地域(山林のほとんどが広葉樹)である。漁業のイメージの強い由岐町の意外な一面であるが、これも漁師の知恵であろう。学術的な視点からエコツアーの題材にするにはもってこいである。


〔日和佐町〕

・御世山と赤滝・黒滝めぐり(伝説の御世山と赤い岩盤を流れる滝、黒い岩盤を流れる滝を求めて山道を行く)

・千羽海崖と四国の道(南阿波サンライン沿いの散策路を歩くコース)

・日和佐川の生き物観察ツアー(日和佐川に潜むテナガエビや小魚をカンテラの光で見つける)

・赤松川(夏期研修として、山間の清流のほとりで自然観察)

・南阿波サンライン魚付林めぐり(魚付林につかまりながら渚まで降りていく)



〔牟岐町〕

・牟岐大島(無人島で子どもたちだけのキャンプ。アオサギのコロニーを観察)

・ナギの自生地と滝見物。



〔海南町〕

・大里松原(貝殻を探したり、渚でネイチャーゲームを行う。松原探索も)

・轟九十九滝めぐり

・海部川源流探索と広葉樹植林ツアー

・MTBで行く海部川支流

・海老ケ池野鳥観察



〔海部町〕

・母川めぐり

オオウナギとゲンジボタルで知られる海部川の支流母川。高瀬船、野点、笹船づくりなどが行われている。土手の上の散策も落ちついた雰囲気。湧き水が藻をなびかせながら、湿地をくぐり抜けた水がオオウナギの棲む「せりわり岩」の辺りで川幅を広げると、碧色の淵が山水画の佇まいを見せる。それは日本の原風景ともいえる里の川の姿である。

・愛宕山遊歩道と手倉海岸

・海部平野史跡めぐり


〔宍喰町〕

・鈴ケ峰の頂上からの眺め

「魔女の宅急便」の主人公キキが空から眺めた風景はこんなものではないかと思わせる美しい宍喰のまちなみ。那佐湾と乳ノ崎の造形も印象的。天然記念物「ヤッコソウ」を途中で観察しながら山を登る。

・宍喰の滝めぐり(野根川上流の知られざる名瀑めぐり。沢登り上級者向き)

・竹ケ島サンゴ観望(ハナサンゴ、シコロサンゴ、熱帯魚)



〔どこでも〕

・冬の海底とカノープス

・真夏の夜の出会い(山中にトラップを張って光に集まる珍しい昆虫を観察する)

・ログハウスづくり

・磯遊び

エコツーリズムは、海部郡で無理なくデザインできる旅行形態であり、環境保全と地域活性化を両立させるための手法であるとともに、地域内においては、住民による地域の再発見(宝さがし)が進行すれば、住民主導行政参加の理想的な形での地域づくりが可能となる。

対象はあくまでも物言わぬ自然である。しかし、ありのままの自然を語らせるのはヒトの情熱である。

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